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オープニング映像。
スノーボードアルペンの竹内智香は42歳。彼女の12年間をおった。ソチ五輪で日本女子スノーボードで銀メダルに。6大会連続でオリンピックに出場。7回目のオリンピックに挑もうとしている。これまで日本女子はフリースタイルスキーの里谷多英がオリンピックに5回出場、スピードスケートの岡崎朋美はオリンピックに5回出場など竹内がミラノ・コルティナダンペッツォオリンピックに出場を果たせば冬季オリンピック7大会連続出場の記録に。さらにこれを最後の挑戦にしたいという。
2025年春に竹内智香は今回のオリンピックをもって現役を引退することを伝えた。そこにあったのは寂しさではなく清々しい笑顔。応援に駆けつけたのは野村忠宏。
2025年春に竹内智香は練習の拠点にしているスイスにいた。竹内向かっていたのは1年中雪のある、ツェルマット。何度も通った見慣れた景色で、スイスに移してからもう20年以上。23歳の時に日本を飛び出し、単身スイスに渡ったのが始まり。トレーニングをおこなうのは標高3800mの氷河エリア。力強く雪面を切り刻む滑りで、腰の痛みを抱えながらも順調。竹内が挑むスノーボードアルペンは、0.01秒を競うスピードレースで、ゲートが設置された急斜面を高速で滑り降りる。コースの設定によっては、時速70キロを超えることも。技術、体力、メンタルすべてにおいて限界ぎりぎりを攻める過酷な競技。そんなスノーボードと出会ったのは北海道。両親は温泉宿の湯元 湧駒荘を営んでいる。小学生の時に描いた夢はオリンピックに出る。1998年の長野五輪をテレビで見て自分もスターになりたいと目標を持ち、世界に通用する選手になると言い切った。その2年後のソルトレークシティ五輪に18歳で出場。しかし初めての五輪は22位で終わり、世界で通用する選手になるためには何かが足りなかったという。
オリンピックで世界の壁を思い知った竹内。強くなるためにはどうすればいいか?毎日のように考えているうちに、日本人はこの種目で世界に通用しないという固定観念があったと答え、海外の選手がどんな環境で練習をしているのかが知りたくなりスイスにきたという。2007年に単身でスイスへ。オリンピックのスノーボードで、メダルを掴んだ日本人はまだいない。世界トップクラスのスイスチームへの加入を直談判したという。スイスチームに日本人が加わることは、異例だったが、受け入れてもらえた。こうして練習拠点をスイスにうつした。コーチも決まり、戦うための環境が充実していった。しかし言葉の壁があり、スイスの公用語は60%がドイツ語。
持ち前の明るさとひたむきな努力を重ね、チームにも溶け込んだ。オリジナルブランドのBLACK PEARLの開発にも携わった。出来ることはすべてやった。バンクーバー五輪では竹内は決勝トーナメントで、コースアウト。積み上げてきたものが一瞬で終わった。望む結果は得られなかったが、彼女には同じ目標を目指し支えてくれる人たちがいた。スノーボードにすべてを注いだ。2014年のソチ五輪では30歳で望む4度目のオリンピック。竹内は順調に勝ち上がり、準決勝へ。日本女子スノーボード初の銀メダルとなった。しかしその2年後、ドイツで行われたワールドカップで激しく転倒し大怪我を負った。日本に帰国し手術をすることになった。左膝の前十字靭帯断裂で選手生命を脅かす深刻なものだった。
竹内智香は足の大怪我をしたが、ポジティブな発言を何度も繰り返した。あまりにも大きな試練を抱えたがそれでも2019年の平昌五輪まであと2年。また一から努力を始める。左膝の大怪我からおよそ4カ月後、竹内はリハビリを終えて通常のトレーニングを始めた。2016年9月にニュージーランドにいた竹内。今日から雪上トレーニングを始めるという。翌年にはいつもどおりの竹内がいた。あの日から1年半、大怪我が嘘だったように駆け抜けた。
2017年に竹内はアメリカへ。チームで金メダルを掴み取るために、スノーボードアルペンでは日本人初の新たな試みを行った。GPSを体につけて滑りスピードを計測。板の種類をかえて様々なデータを収集する。感覚だけでは届かない領域を、科学的に突き詰める。あらゆる準備をして臨んだ2018年の平昌五輪。金メダルを狙ったが結果は5位に。初めてスノーボードから離れたというが、しかしその中で色々な人が背中を押してくれたという。休養を経て再び雪の上へ。2022年の北京オリンピックに出場し15位に。18歳からオリンピックの舞台にたち、これで6大会連続。オリンピックこそが竹内のアスリート人生に。
2025年にスイスにいた竹内。体に退化や老化を感じているという。しかしベテランでも勝ち目はあると諦めない。スイスで共に戦ってきた仲間と過ごす時間も、あとわずか。スーパーマーケットに出かけた竹内はサーモンなどを大量に買い込み、チームメイトやスタッフに感謝を込めて恩返ししようと考えた。暖かい時間が1秒1秒ごとに過ぎていく。竹内は最後のオリンピックは卒業論文のようなものと答えた。そして、7度目のオリンピックに挑む。
そして26年2月、ミラノ・コルティナダンペッツォオリンピックに出場した竹内。すべてを出し切り、結果は22位で予選敗退となった。竹内はかみしめるような思いで滑っていたと答え、完全燃焼と答えた。
エンディング映像。
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