オリンピックで世界の壁を思い知った竹内。強くなるためにはどうすればいいか?毎日のように考えているうちに、日本人はこの種目で世界に通用しないという固定観念があったと答え、海外の選手がどんな環境で練習をしているのかが知りたくなりスイスにきたという。2007年に単身でスイスへ。オリンピックのスノーボードで、メダルを掴んだ日本人はまだいない。世界トップクラスのスイスチームへの加入を直談判したという。スイスチームに日本人が加わることは、異例だったが、受け入れてもらえた。こうして練習拠点をスイスにうつした。コーチも決まり、戦うための環境が充実していった。しかし言葉の壁があり、スイスの公用語は60%がドイツ語。
持ち前の明るさとひたむきな努力を重ね、チームにも溶け込んだ。オリジナルブランドのBLACK PEARLの開発にも携わった。出来ることはすべてやった。バンクーバー五輪では竹内は決勝トーナメントで、コースアウト。積み上げてきたものが一瞬で終わった。望む結果は得られなかったが、彼女には同じ目標を目指し支えてくれる人たちがいた。スノーボードにすべてを注いだ。2014年のソチ五輪では30歳で望む4度目のオリンピック。竹内は順調に勝ち上がり、準決勝へ。日本女子スノーボード初の銀メダルとなった。しかしその2年後、ドイツで行われたワールドカップで激しく転倒し大怪我を負った。日本に帰国し手術をすることになった。左膝の前十字靭帯断裂で選手生命を脅かす深刻なものだった。
持ち前の明るさとひたむきな努力を重ね、チームにも溶け込んだ。オリジナルブランドのBLACK PEARLの開発にも携わった。出来ることはすべてやった。バンクーバー五輪では竹内は決勝トーナメントで、コースアウト。積み上げてきたものが一瞬で終わった。望む結果は得られなかったが、彼女には同じ目標を目指し支えてくれる人たちがいた。スノーボードにすべてを注いだ。2014年のソチ五輪では30歳で望む4度目のオリンピック。竹内は順調に勝ち上がり、準決勝へ。日本女子スノーボード初の銀メダルとなった。しかしその2年後、ドイツで行われたワールドカップで激しく転倒し大怪我を負った。日本に帰国し手術をすることになった。左膝の前十字靭帯断裂で選手生命を脅かす深刻なものだった。
