- 出演者
- ユースケ・サンタマリア 新井恵理那 秋元真夏 柳原可奈子 DAIGO
長野県木曽町のJR南木曽駅からタクシーで3世帯集落へ。しばらく走ると標高をあげながら山奥へ。標高1014mの秘境集落へやってきたがその先に道はなく、山奥の行き止まりになっている。そこに民家があり、浅村さん夫婦が住んでいた。そこに2世帯目の住民の鈴木真美さんが。浅村さん夫婦の隣に住んでいるという。東京から移住してこの集落にやってきたが都内では代官山で働いていたという。
2世帯目の住民の鈴木真美さんは以前は東京の代官山で働いていたが、ある出来事がきっかけで長野県の山奥に移住することになった。また集落の行き止まりにはもう一軒住宅があり、その人も東京からの移住者。
浅村さんは朝7時には活動していたが鈴木さんの家へ訪れ口約束をしていた。午前8時には浅村さんの長男が来ていた。仕事が休みのときは両親農作業を助けている。昨日その父の明さんが取り分けたもみの上に土をかぶせていた。もみは土をかぶせて時間が経過すると芽が出てそれを田んぼに移すという。一方その父の明さんは猟師をしていたというが家には剥製が。また集落には水道が通っておらず湧き水をひいて生活水にしているという。
浅村さんは他にもみてほしいものがあると自宅の隣へ。自分でこしらえたという機械があったがこれは、薪割り機で簡単に木を真っ二つにすることができる。妻の隆子さんが向かったのは畑。行者にんにくを収穫した。それを家に持ち帰るときれいに洗ってざっくり刻み袋へ。そこには鈴木さんが手作りした醤油を使って調理していく。こうして行者にんにくの醤油漬けが完成した。他にも畑でとれたニラやしいたけなどを炒め野菜炒めに。
浅村隆子さんは昭和19年長野県塩尻市に生まれた。母親がおらず中学を卒業する頃には製紙工場に働きにでていたという。3年間家族に仕送りしながら働いていたが18歳で地元の食堂で働くことに。そして22歳で常連に紹介された男性が夫の明さん。仕事の関係で長野県に来ていたという。昭和42年に2人は結婚し、標高1014mでの山奥生活がスタートした。しかし隆子さんはその当時の生活が大変だったと語り、集落には4世帯が暮らしていたが道も整備されておらず、不便を感じた住民次々に街へ移住。結果集落に残ったのは浅村さん夫婦だけになった。自分たちと共に集落も消滅していくのか?と思っていた矢先、東京から2組の移住者がやってきた。
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- 塩尻市(長野)
東京から長野の山奥へ引っ越してきた鈴木さん。ジュエリーデザイナーの会社で働いていたという。鈴木さんは野菜を自身で育てていてかぼちゃやズッキーニなど50種を育てている。住んでいる家は4LDKの古民家で1500坪の畑の田んぼつきで借りているがその家賃は1万円。さらに鈴木さんの長男も一緒にこの山に住んでいるという。野菜の種巻きを行っていたが腐葉土を自家製にこだわっている。また自ら作業小屋を建築し手作りしたという。鶏小屋では鶏を100羽飼育し野菜は道の駅からいらないものをもらってきたという。さらにその滉杜さんの妻も鶏のエサやりにやってきた。
DAIGOはロシアを訪れた際に人が飼育しているというクマにあいに向かったという。
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- クマ
鈴木家の長男の滉杜さんはニワトリの卵を大量に収穫した。仕事が一段落すると集落の1番奥へ。その集落の奥には3世帯目の村谷さんが。航空自衛隊のパイロットだったという。
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- 木曽町(長野)
村谷さんは航空自衛隊に3年間勤めた後にサラリーマンを経て今はIT関連の経営者に。リモートで仕事ができるとあって55歳で大自然に囲まれ静かで過ごしやすいとこの場所へ。
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- 木曽町(長野)
午後2時に2世帯目の鈴木家では長男の滉杜さんが一休みしていた。醤油も手作りしているというが、家にはその手作りの醤油が。真美さんの夫の俊晃さんの姿もあり今から自家製の卵、米、醤油の卵かけご飯を食べる。
柳原可奈子は夫があまりにも北川景子にきれいというので、北川景子がうつっている表紙を切り抜いてそれをお面にし寝ている夫を起こすと笑っていたという。
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- 北川景子
東京から移住してきた鈴木さん一家。昭和41年に神奈川県大磯町で生まれた真美さんは絵を描くことが大好きで東京卒業後には東京の美術大学に進学した。その後代官山の会社に就職し、宝石のデザインを担当していた。その後大学の同級生で大手建設会社で働く俊晃さんと出会い結婚。長男の滉杜さんも生まれ家族3人、幸せな日々を過ごしていた。しかし夫が上司とケンカし仕事を辞めると言い出し無職に。当時、長男の滉杜さんはまだ2歳で出産を機に仕事をやめていた真美さん。家族が露頭に迷う可能性があった。しかし俊晃さんは実際は企業にいると自分主体でできないことに不満があったが独立を考えていた。その新しい仕事場が集落近くに。
二人目の子どもが誕生したDAIGOは自分の子どもがウィッシュをしてくれたと答えた。
鈴木さん一家は夫の俊晃さんが大手建設会社を辞め無職になった。その後、東京から縁もゆかりもない長野の山奥に移住し始めたことがある。それは家具づくりをする木工家へ。元々美術大学似通っていた俊晃さんは大好きなものづくりに励もうと退職後すぐに木工職人に。作品に使う良質な木材を使える場所を探していた所知り合いに紹介されこの場所に移住した。
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- 木曽町(長野)
鈴木さん一家は当時幼い長男を連れて夫婦で長野県の山奥に引っ越してきた。収入もなくなり不慣れな山ぐらしがスタート。しかし1世帯目の浅村さん夫婦のおかげで山仕事にもなれたという。
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