- 出演者
- 藤森慎吾(オリエンタルラジオ) 小泉孝太郎 黒柳徹子 高嶋ちさ子 森泉
森泉はデビュタントで有名デザイナーのオートクチュールのドレスを着ているなどと話した。ミハイル・ゴルバチョフの娘などが参加していたという。
森英恵は日本の美を象徴するデザインを多数手掛ける。1992年バルセロナ五輪、1994年リレハンメル冬季五輪では日本選手団のユニフォームをデザイン。ソウル五輪ではシンクロナイズドスイミングの小谷実可子選手のコスチュームを手掛けた。
オープニング映像。
建築物の評価・検査機関で働く鈴木広行さんの幸福時間は鎧兜づくり。完成するまで丁寧に時間をかけて2年かけたこともあるという。14年前、地域で戦国時代の出し物に出演した時に自分で作った鎧兜を着けたいと思い始めた。これまでに16種類作った。
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- 豊田市(愛知)
私の幸福時間の番組宣伝。
2004年、森英恵はオートクチュールを引退。オートクチュール人生最後のコレクションには家族も駆けつけた。最後のランウェイは孫・森泉と一緒に歩いた。森泉はプレッシャーでウォーキングを夜な夜な練習したと明かした。
パリ・オートクチュール界を引退後も森英恵は精力的に活動を続けた。2005年、愛知万博の「胡蝶」~能とバレエの宴~やジャパン・ファッション・ファンタジーの衣装をデザイン。2006年、劇団四季ミュージカル「鹿鳴館」の衣装デザインなど。
2019年4月30日、平成最後の日に森ファミリーは「徹子の部屋」に出演。そして2022年8月11日、森英恵は96歳で永眠。森英恵が亡くなって1年後にも森ファミリーは「徹子の部屋」に出演した。
森英恵は亡くなる直前に3人の孫娘について語っていた。泉は色彩感覚が鋭いし人を惹きつける力があるから自分で創造したものを宣伝する能力に長けている、雪はバランスがとれた子で賢くてファッションの定義はよく解っている、星は典型的な末っ子で天才的な感性豊かで自由きままだから他人が驚くようなアイデアが生まれるなどと話していた。
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- ニューヨーク(アメリカ)森星森英恵森雪
森英恵への想いを森ファミリーが語る。森泉は森英恵から「あまり強くなりすぎないでね」と言われたという。森雪はハナヱ・モリという名前が倒れないのは森英恵の根が強いから、森星はモデルという世界を選んで祖母の美学を知りたいという探究心に変わったし自分の原動力になった、森勉はファッションじゃなくてアートをやった方がいいと言われたことを覚えている、森パメラは彼女はどんな時も素直で謙虚なところがすごいなどと話した。
森英恵 Butterfly beyondの番組宣伝。
森顕は森英恵について、美しさを求める人で妥協しないと話す。96歳になっても最後までお化粧をしていたという。
森英恵について森泉は最後の最後までカッコいい女性だった、黒柳徹子は自立した女性とはこういう人だと思ったなどと話した。
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- 森英恵
森英恵はミラノ・スカラ座で行われた浅利慶太演出のオペラ「マダム・バタフライ」の衣裳が評判を呼び、劇団四季ミュージカル「李香蘭」など劇団四季の様々な衣裳を手がけ芸術性が各界から高く評価された。
森英恵が手がけたファッションは総理大臣にも大きな影響を与えた。1969年、佐藤栄作元総理と妻の佐藤寛子さんが渡米した際に寛子さんは森英恵のアドバイスを受けてミニスカートを取り入れた。顕さんによると、寛子さんは日本人が戦後のプライドを取り戻すためファッションのパワーが国際的に重要だと考えていた。従来、日本人女性は外交の場に着物で臨んでいたが森英恵に洋服のデザインを依頼。当時世界の最新ファッションだったミニスカートを取り入れたことで、日本女性が最新ファッションをすぐに取り入れる姿勢を世界に示し演出した。小泉孝太郎は父・純一郎は外交の時のファッションは相手の国の物を取り入れるようにしていたという。またスーツは自分に馴染むかどうかを気にしてしたと話した。
