- 出演者
- 所ジョージ 林修 杉本哲太 荻野目洋子
オープニング映像。
荻野目は野山を駆け巡っていたので東京にいたら息が詰まると話した。杉本はこう見えて意外とシティボーイと話した。
岡山県のポツンと一軒家を調査。衛星写真には四角く切り拓かれた敷地に灰色と茶色の屋根の建物が2棟、区画整備された田畑写っていた。最寄りの集落で男性に話を聞くと、100歳過ぎまで存命で3、4年前に他界した人物の家ではないかとのことだった。今は息子が通っているという。男性に来るまで先導してもらい、ポツンと一軒家を目指した。
岡山県のポツンと一軒家を訪れると、「留守にしています」と張り紙があった。麓に戻って書かれていた電話番号にかけると今は倉敷に住んでいるという男性が出た。男性の父親が住んでいた家で、週1回通って管理しているという。会う約束をして後日ポツンと一軒家を再訪し、現在の主である儀夫さんに話を聞いた。ポツンと一軒家は父・房太郎さんが建てた家で、石垣は父が人力で積み上げたという。房太郎さんは麓の仮住まいから通って2、3年かけ松林を開拓して家を建てた。儀夫さんは生まれて間もなく実父が亡くなって房太郎さんの養子になった。戦後間もない頃で、70キロ先の県庁まで自転車で配給をもらいに行っていた。10歳のときに養母が他界し、その後房太郎さんは再婚し親子4人で生活した。房太郎さんは104歳で他界した。房太郎さんは隣町の出身で幼少期に親が北海道へ開拓に行った。戦争で徴兵され、各地をまわった後に岡山に戻った。
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岡山県のポツンと一軒家を訪れ、主の儀夫さんに話を聞いた。家は元タバコ農家で、家の裏にタバコ畑があった。果物も栽培し、麓で米と交換してもらっていた。炭焼きもしており、炭やタバコの葉を積んで人力で山道を運搬していた。儀夫さん中学を出ると農家に住み込みで研修をしていた。その後の明石市の会社に就職した。鉄鋼会社に転職し大型重機の運転手になり、70歳まで勤務した。房太郎さんは104歳で他界する直前まで1人でポツンと一軒家に暮らしていた。
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岡山県のポツンと一軒家を訪れ、主の儀夫さんに話を聞いた。房太郎さんが手作りした家の中を見せてもらった。昔は電気がなく石油ランプで生活していた。土間から床までは湿気対策で高い段差が作られていた。ガスはプロパンを運んでもらい、水は水源から引いた谷水を使っていた。風呂は薪焚きの五右衛門風呂。房太郎さんは100歳で薪割りをしていた。儀夫さんは家族4人、6畳一間で生活していた。長寿表彰の賞状も飾られていた。房太郎さんは9年前に他界し、儀夫さんは倉敷市の自宅から通って家と畑を管理している。畑では自家用野菜を育てていたが害獣の被害にあっていた。儀夫さんには子どもが2人、孫が4人おりたまに遊びに来るという。
荻野目は房太郎さんの働きっぷりを見たかったと話した。杉本は80過ぎて父親の家を守るのは自分だったら無理と話した。