岡山県のポツンと一軒家を訪れ、主の儀夫さんに話を聞いた。房太郎さんが手作りした家の中を見せてもらった。昔は電気がなく石油ランプで生活していた。土間から床までは湿気対策で高い段差が作られていた。ガスはプロパンを運んでもらい、水は水源から引いた谷水を使っていた。風呂は薪焚きの五右衛門風呂。房太郎さんは100歳で薪割りをしていた。儀夫さんは家族4人、6畳一間で生活していた。長寿表彰の賞状も飾られていた。房太郎さんは9年前に他界し、儀夫さんは倉敷市の自宅から通って家と畑を管理している。畑では自家用野菜を育てていたが害獣の被害にあっていた。儀夫さんには子どもが2人、孫が4人おりたまに遊びに来るという。