- 出演者
- 宇治原史規(ロザン) 阿部亮平(Snow Man) ふくらP
隣のステラの告知。
- キーワード
- 隣のステラ
「囲炉裏の真上が吹き抜けの理由は?」と出題。Aは「害虫よけ」、Bは「屋内の採光」。正解はA「害虫よけ」。ススや煙が木材をいぶし害虫を寄せ付けない。
「合掌造りの地震対策は?」と出題。Aは「屋根を固定しない」、Bは「大量の葉っぱを詰める」。正解はA「屋根を固定しない」。釘を1本も使わず建設し屋根を支えている柱の先端は鉛筆のように削られ梁にはめ込まれている。地震が来た時に屋根が動くことで力を逃がす。
燃えやすい家屋の近くには放水銃を設置。「村人総出で行うことは?」と出題。Aは「屋根造り」、Bは「池掃除」。
約400年前、金78トン・銀2330トンという世界の約10%の金を産出し、世界中を席巻した佐渡金山。江戸時代、最も多くの金銀を生み出した相川金銀山。道遊の割戸は標高252mの相川金銀山を山頂から掘り進め、幅約30m・長さ約120m・深さ約74mの鉱山遺跡。金鉱石の採掘は山頂からだけでなく、横からでも下からでも金脈が見つかれば、至る所から掘っていった。この山の周辺だけでも100か所以上のトンネルの出入り口が見つかっており、その長さを合わせると約400kmになるという。普段は立ち入り禁止のエリアへ。江戸時代のトンネル・大切山坑に潜入。かなづちとたがねを使い、人間の力だけで掘り進められた。しかし、佐渡金山の岩盤は硬く、作業は1日10cm程度。「トンネルが2つある理由は?」と出題。Aは「非常時の避難通路」、Bは「空気を循環させるため」。正解はB「空気を循環させるため」。
宗太夫坑は江戸時代初期に実際に掘られたもので、現在は史跡として公開されている。江戸幕府により、各地から多くの人が集められ、最盛期には1900人以上の人が働いていた。トンネルを掘っていた人たちは金穿大工と呼ばれ、8時間交代制で作業をしていた。「腰に巻かれた縄の役割は?」と出題。Aは「非常食」、Bは「松明の火種」。
「腰に巻かれた縄の役割は?」と出題。Aは「非常食」、Bは「松明の火種」。正解はA「非常食」。
働く人々の支えとなった風習が歌。金穿大工が山の神様に歌を奉納する神事「やわらぎ」が行われていた。かなづちとたがねで音を奏でた。親方が身に纏うのは金を運んだ藁の袋。そこには2匹のオオムカデが描かれている。幸運をもたらす生き物と信じられていた。金脈がムカデに似ていることから鉱山関係者はムカデを大切に扱っていた。現在でも毎年7月に鉱山祭を開催。「“やわらぎ”に込められた願いは?」。と出題。Aは「島の生活が和らぐように」、Bは「鉱石が軟らかくなるように」。正解はB「鉱石が軟らかくなるように」。
東洋一の選鉱場「北沢浮遊選鉱場跡」は佐渡島のラピュタとしても知られる。ここで行われていたのが泡を使った金の採取方法。泡に金を付着させて抽出していた。これまで採取することができなかった微小な金も取ることができ、昭和15年には過去最大の約1.5トンの金を産出した。「鉱石が見つかった意外な場所は?」と出題。Aは「滝つぼ」、Bは「海岸」。
本当にあった怖い話の番組宣伝。
ウワサのお客さまの番組宣伝。
ヤクルト×巨人の番組宣伝。
「鉱石が見つかった意外な場所は?」と出題。Aは「滝つぼ」、Bは「海岸」。正解はB「海岸」。高品質の金鉱石が多く、海岸に100万トンが眠ると言われていた。
相川地区では400年前から金山の発展とともに作業員たちが暮らし、生き抜いてきた。中心となった町が「京町」。京都の呉服店などが多く店を構えていたことから京町と名付けられた。作業員の衣食住を支える必要があったため、日本各地から様々な職種の人が集められ、職種ごとに町が形成されたという。町を取り仕切っていたのが佐渡奉行所。奉行所の管轄のもとで行われたのが金の選鉱と製錬。勝場という工場では金鉱石から小判の生産までを一貫して行っていた。1トンの鉱石から取れる金は5g程度だったという。佐渡島産の金の純度は99.54%。当時の佐渡小判17.85gは現在、約500万円の価値がある。「金の輝きを出す“あるもの”は?」と出題。Aは「塩」、Bは「味噌」。正解はA「塩」。
宇治原は「もう1回勉強になる、復習になる」などと話した。
- キーワード
- 屋久島
今夜はナゾトレの次回予告。