- 出演者
- 日村勇紀(バナナマン) 設楽統(バナナマン) 小室瑛莉子 武井壮 ゆりやんレトリィバァ 山之内すず
1975年に生まれたその男性は子供の頃採集した昆虫を友だちに販売し、流行りのシールを買いまくっていた。その後、情熱を音楽に注ぎパンクの世界にのめり込んだ。制服指定の学校に私服で通っていた。大学へはいかずバンド活動に専念し、趣味で集めていたレコードの販売を始めた。22歳で会社を設立し、バンド活動も軌道に乗った。1998年にメジャーデビューしたが、レコード販売のほうが楽しく3年後にバンドを辞めた。販売方法をカタログからネットに変えた。その正体は前澤友作。レコードを販売していた会社は後のZOZOTOWN。アパレルを販売して大成功した。2019年に社長を退任し、日本の民間人で初めて国際宇宙ステーションに滞在した。次は深海に行ってみたいと話した。武井は、国際宇宙ステーションにいる前澤から電話をもらったと話した。
オープニング映像。
1974年にロサンゼルスで生まれた超イケメンの男性は、人気子供番組に出演するなど芸能の道を進んだ。15歳の頃に学校の不良に目をつけられボコボコにされたことをきっかけに、大スターになることを決意。19歳でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされるなど、注目の若手俳優として大スターへの階段を駆け上がった。彼にある大物監督から映画のオファーがあったが、イケメン役だったため辞退した。彼はアイドル的存在として見られることに危機感を抱いていた。諦めきれない監督は1か月説得したが承諾されなかったため、自信がないのかとけしかけた。これによりオファーを承諾し、映画は大ヒットした。
大ヒット映画のオファーを断っていた大スターの正体はレオナルド・ディカプリオ。映画はタイタニックで、その後様々な役を演じた。2016年にはアカデミー賞主演男優賞を受賞した。タイタニックヒロイン役のケイト・ウィンスレットも説得していた。
1946年にオハイオ州で生まれた男性は、6歳の頃に父親に映画館に連れて行かれ「地上最大のショウ」を観た。本物のサーカスが観られると勘違していた彼はがっかりしたが、その映画がきっかけで映画の沼にハマった。17歳で映画のスタジオのツアーに参加。行きたい場所に行けなかったためツアーを抜け出したが数分後に見つかった。彼は呼び止めた社員に映画愛を熱弁し、スタジオに出入りできるパスを貰った。次の日もスタジオを訪れ、自作の映画を社員に披露した。社員は彼をスタジオで働かせることに決めた。その後大学に通いながら10日間かけて短編映画を制作し、プロたちに見せた。
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勘違いがきっかけで映画にハマった男の正体はスティーヴン・スピルバーグ。これまで監督した13作品がアカデミー賞にノミネートされ、総興行収入は100億ドル以上。
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- アカデミー賞スティーヴン・スピルバーグ
12歳の頃からギターの虜になったこのスターはミュージシャンを目指してロサンゼルスに移住した。友人だったニコラス・ケイジに誘われ、食いつなぐための手段として俳優を始めた。彼はボールペン会社のセールスマンもしていた。その正体はジョニー・デップ。チャーリーとチョコレート工場やパイレーツ・オブ・カリビアンなど数々の大ヒット作に恵まれた。
1971年に誕生したあの有名人は、同級生と趣味嗜好が合わず学校で浮いた存在だった。孤独な彼を支えたのは本で、1日10時間以上も読み耽るほど本の世界に没頭した。読む本がなくなると百科事典を読んで知識を吸収していった。日本のアニメも大好きで、来日経験もある。2014年には歌舞伎町でラーメン二郎を訪れた。読書の他にパソコンにハマっており、独学でプログラミングをマスター。12歳でオリジナルゲームを作った。パソコン雑誌から500ドルで買いたいというオファーを受け、ビジネスの面白さに目覚めた。ペンシルベニア大学に進学し、ゲームメーカーに一時的に働いた。プロが解決できない問題を2週間で解決し、正式に就職の誘いを受けた。その後彼はスタンフォード大学大学院に進学したが、2日で自主退学。インターネットの急激な成長を感じて起業した会社は大成功し、3億ドルで売却した。その金を使って数々のビジネスを成功させていった。
超有名人の正体はイーロン・マスク。TESLAやスペースXのCEOを務め、総資産は世界1位の131兆円。先日には、10年以内に月に都市を開発できる可能性があると発表した。
1990年に2人姉妹の次女として生まれた彼女は、幼い頃は今のイメージとは違って人見知りだった。ある日父からその日にあった出来事を話してほしいと言われ、頑張って話すようになると話すことが好きになった。また、モーニング娘。になりたいという夢を持つようになった。
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- アップフロントワークスモーニング娘。
中学生になった彼女はマイケル・J・フォックスの大ファンになり、英語のセリフを友だちに披露した。英語のスピーチコンテストに出るよう勧められ、先生の発音を真似するうちに英語が好きになった。また彼女は小学生の頃から男の子を好きになると追い掛け回していた。現在は夢だった職業に就き、アメリカ進出も果たした。その正体はゆりやんレトリィバァ。アメリカズ・ゴット・タレントにも出場し、2年前にロサンゼルスに移住した。ドラマ極悪女王では主演を務め、禍禍女では映画監督としてデビューした。スタジオにゆりやんが登場した。
あの有名人は、美容院を経営する父と母、兄と裕福な生活を送っていたが、9歳の頃に両親が離婚。母は実家に帰ってしまった。父は知人の借金を肩代わりし、財産のほとんどが没収された。アパートに引っ越したが、父は兄弟にわずかなお金を渡して家に帰ってこなくなった。彼はザリガニなど自力でおかずを調達して食べていた。また近所の家のごみ捨てを500円で代行し、最終的に150軒を請け負った。さらに近所の人からも支援され、ギリギリ生活することができた。兄は俳優、彼はプロ野球選手を夢見た。走っていると苦しくなることに疑問を持った彼は、近所に住む体育大学の学生に聞き、その理由を教えてもらった。夢を叶えるためには理論が必要だと知り、もらった教科書で勉強した。中学は名門私立中学に入学した。成績がトップだと学費が免除され奨学金がもらえる制度があった。彼は猛勉強し成績は常にトップ。野球部に入学するとレギュラーを獲得し、エスカレーター式に高校に進学した。しかし成績トップを維持しなければならずアルバイトの必要もあったため、野球部は断念した。野球選手は諦めず、独自にトレーニングを続けた。芸能関係の仕事についていた兄が入院したという知らせを受けた。兄は末期がんで、24歳の時に亡くなった。兄が叶えられなかった俳優という夢を自分が叶えようと考え、徐々にテレビに出演できるようになった。ついには大河ドラマや朝ドラにも出演した。
亡き兄の夢だった俳優の道を歩み始めた人気者の正体は武井壮。武井は1997年に日本陸上競技選手権大会の十種競技で優勝。競技歴2年半で日本一になった。2024年公開のタイの映画「URANUS2324」に出演した。
1997年にあのアーティストのもとにとある曲の歌唱依頼が来た。彼女は13歳でプロデビューし、時代の歌姫だった。依頼は大作映画の主題歌だったが、過去のヒット作を超える自信がなかったため断るつもりだった。マネージャーでもあった夫が説得し、1回だけ歌ってみることになった。依頼は作曲家の独断で監督は歌は必要ないと考えていたが、彼女の一発録りのデモテープを聞いた監督は即採用した。
一発録りであの名曲を歌った歌姫はセリーヌ・ディオン。曲はタイタニックの主題歌「My Heart Will Go On」だった。1800万枚の大ヒットとなった。
お笑い養成所に入るため一人暮らしをスタートしたあの人気者は、エレベーターで激しい便秘で腹痛に襲われた。そこにお偶然乗り合わせたギャルが声をかけてくれた。部屋に戻って30分後にそのギャルがきんぴらごぼうを持ってきてくれた。2人は仲良しになり、ギャルも養成所に通っていた。しかしお互いにお笑い養成所とは恥ずかしくて言えずに嘘をついていた。2人は別々に組んでいたが同時期に解散し、その後コンビを結成した。
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1947年ヨーロッパで生まれたあのセレブは、14歳の頃に映画「ヘラクレス 魔界の死闘」を観て筋肉に魅了され、ひたすら鍛えまくった。地元のボディビル大会で入賞するほどムキムキになった。18歳の頃ヨーロッパ最高峰のボディビル大会の招待状をもらったが、兵役についていたため参加は不可能だった。どうしても出たかった彼は脱走して参加し、優勝した。戻ると1週間の収監処分となった。21歳で兵役を終えると20ドルだけ持って渡米した。英語はほとんど話せず、すべてがイチからのスタートだった。ボディビルの聖地ベニスでトレーニングし、23歳で世界最高峰の大会ミスター・オリンピアで優勝し、その後6連覇を達成した。実業家としても成功し、アメリカに来て4年で億万長者になった。その後は俳優を目指してオーディションを受けた。
