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オープニング映像。今日は緊急追悼・橋幸夫さん。
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1986年放送の徹子の部屋に出演した橋幸夫(当時42歳)。デビューのことは父親には秘密にしていたといい、父親は心臓病で入院していた。デビューをテレビで見た父親は怒っていたが、体調が回復し、退院したという。橋幸夫は9人兄弟の末っ子。1番目と2番目の兄は戦争を経験した。名前は兄が付けてくれたという。
1990年放送の徹子の部屋に出演した橋幸夫(当時47歳)。身につけている時計は美空ひばりから貰ったものだという。亡くなった美空ひばりについて、心の支えを失った。歌を通して人間に夢を与えた人だと話した。
2000年放送の徹子の部屋に出演した橋幸夫(当時57歳)。西郷輝彦、舟木一夫と一緒に出演した。
2000年放送の徹子の部屋に出演した橋幸夫(当時57歳)。西郷輝彦、舟木一夫と一緒に出演した。橋幸夫は17歳、舟木一夫は18歳、西郷輝彦は17歳でデビュー。当時、橋幸夫が57歳、舟木一夫が55歳、西郷輝彦が53歳。3人の中で仕切るのは橋幸夫だという。
2013年放送の徹子の部屋に出演した橋幸夫(当時70歳)。名曲「いつでも夢を」が朝ドラ「あまちゃん」の影響で再ブレイクした。本人役で橋幸夫も出演した。「いつでも夢を」は橋幸夫と吉永小百合のデュエット曲。当時はお互いに忙しく、同時録音できなかった。橋幸夫はこの時代としては初めてダビングして完成した曲だと話した。レコーディングの時は会わなかったが、その年のレコード大賞になり、ライブ活動などで一緒に共演したという。橋幸夫は17歳でデビューし、1年で16枚のシングル曲を出したこともあると話した。最近は書道を学んでいるといい、スタジオで披露した。
2022年放送の徹子の部屋に出演した橋幸夫(当時78歳)。80歳の誕生日で歌手を引退すると発表した橋幸夫。コロナ禍で歌う機会が少なくなり、発声練習もしなくなったことで声が出にくくなったという。橋幸夫は崩れていく声を聞かせたくないという思いで引退を決めたと話した。再婚し、現在は熱海に夫婦で住んでいる。今の夢は大学生になることだという。
2024年放送の徹子の部屋に出演した橋幸夫(当時81歳)。4月に引退宣言を撤回したという。橋幸夫はファンから説得され、引退撤回の謝罪会見を開いた。そして、死ぬまで歌うことを宣言した。妻・真由美さんからも軽はずみに引退なんて言わないでと怒られたと話した。
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