- 出演者
- 佐藤二朗 片山千恵子 河合敦
今回は明智光秀を特集。
- キーワード
- 明智光秀
オープニング映像。
金沢市立玉川図書館の保管資料から、戦国時代の出来事を聞き取った「乙夜之書物」が見つかった。明智光秀の重臣の息子、斎藤利宗は参加した本能寺の変について証言している。光秀は本能寺にはおらず、鳥羽で指揮をとっていたという。その頃、大阪には信長の三男である織田信孝がいて、1万5000の軍勢を従えていた。信長が本能寺から脱出し、信孝と合流するのを妨げるべく、光秀は鳥羽で待ち構えていたのかもしれない。本能寺の南、東側は市街地に面し、明智勢は2000人のうち200人ほどしか配置できなかったという。元海上自衛隊の川上智氏は信長勢が100人程度だったとしても、信長を中心に据えて密集隊形を組み、一部を陽動役に割けば、本能寺から脱出できた可能性があると話す。 萩原大輔氏は「光秀は想像以上に計画的にクーデターを考えていたと思う」と語った。
織田信長の長男である信忠は優秀で、家督を継承していた。光秀は本能寺の変で信長と同時に信忠も討ち取る必要があった。討ち漏らす可能性を想定し、鳥羽で待機していたのかもしれないという。最終的に信長、信忠は落命する。
本能寺の変の4日後、柴田勝家は北陸から京へ向けて引き返していた。そこで、明智光秀は安土城をおさえ、佐和山城、長浜城を攻略。若狭の武田氏を味方につけることに成功する。柴田軍は停滞を余儀なくされた。6月7日、光秀は安土城にて朝廷の使者を迎え、天皇から都の守護を命じられた。
安土城の跡地では意図的に壊されたように見える石垣の跡が見つかっている。調査・研究に関わる松下浩氏は「秀吉が安土城を壊すことで、織田家の天下の終わりをアピールしようとしたのではないか」と話す。明智光秀は朝廷の交渉役を担い、連歌を通じて公家とも交流していた。朝廷側は信長に比べ、光秀のほうが御しやすいと考えていたのかもしれない。
羽柴秀吉の中国大返しを知った明智光秀は進軍ルート上にある山崎の守りを固めた。朝廷から都の守備を任されている以上、京に侵入されると面目を失う。山崎の戦い直前、光秀に与していた高山右近が寝返ってしまった。信長はキリシタンに好意的だったことから、イエズス会はキリシタン大名の高山に「暴君(光秀)に味方してはならない」と要請していた。他の有力武将も光秀から離反する。山崎の戦いで敗れた光秀は逃亡中、落ち武者狩りで命を落とした。
秀吉は織田信長、信忠は生存というフェイクニュースを流布させつつ、中国大返しをしていた。佐藤二朗は「信長が生きていることになったら、光秀に味方なんてできない」と語った。光秀は次期天下人と朝廷から公認されたことで、数的不利のなかで面子を優先。一方、秀吉は主君の仇を討つという大義名分があり、河合敦氏は勝敗の差になったと推測する。
「歴史探偵」の次回予告。
