- 出演者
- 佐藤二朗 片山千恵子 河合敦
オープニング映像。
近年、上杉謙信に関する新史料が見つかっていて、死について関わっているという。
- キーワード
- 上杉謙信
1578年3月9日、上杉謙信は突如として意識を失い、4日後に死去した。享年49。「生前と変わらず、遺骸に鎧兜を着せて龜の中に納めるように」、「城内の不識庵に安置しろ」というのが遺言だった。空海によって創建されたお寺の1つ、清浄心院では近年、古文書が発見された。高野山で祈祷して貰ったことへの謙信のお礼状で、生前、往復1000kmを超える道を2度も行き来していた。空海に対する信仰が深かったという。また、甲冑姿の肖像画も見つかっていて、上杉家から奉納されたもの。木下浩良氏は「この姿で謙信は龜に納められ、安置されたのかもしれない」と語る。空海は生前のうちに高野山の奥之院で入定(永遠の命を得ること)したが、木下死は「死後でも生きてる姿にして入定する場合がある」と説明。魂となっても越後を守ろうと、謙信は遺言で実行させたのかもしれないという。
河合敦氏によると、長子ではなかった上杉謙信は僧侶になるために養育された。だが、越後は混乱し、兄が病弱だったことから、寺から連れ戻されたという。また、昌栄善女という細君がいたが、子どもはおらず、養子を迎えたという。
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- 上杉謙信
上杉謙信は北条氏政の実弟、さらに姉の次男を養子として迎えた。跡目をめぐって内紛が勃発すると、景虎は実家である北条家の援軍に期待した。だが、氏政は佐竹氏との戦いに手一杯で、同盟を結んでいた武田勝頼に依頼。窮地に陥った景勝は川中島の戦いで信玄が最期まで手に入れられなかった飯山領を割譲すると提案した。勝頼は父をも超える偉業を果たせると提案を受け入れ、兵を撤退させた。氏政が兵を差し向けようにも、冬将軍が行く手を阻む。戦いの末、景虎は自害。上杉景勝は越後を統一した。
川合氏氏は上杉景勝が上杉家の頭首となったあとの勢力図をおさらい。景勝の提案を受け入れた武田勝頼は勢力を拡大し、実弟を失った北条氏政は武田家との同盟を打ち切った。すると、北条は徳川家康、織田信長と同盟を結び、三方から攻め込まれた武田氏は衰亡した。
1582年、上杉景勝は織田軍と激突。兵力差は10倍にのぼったとされ、上杉軍が天然の要害をいかしても徐々に追い込まれていく。魚津城の兵士を救援すべく、景勝が駆け付けると、織田軍は主のいない春日山城を急襲。景勝は春日山城へ撤退を余儀なくされた。その後、信長は明智光秀の謀反で命を落とし、織田軍は京へ引き返していった。
佐藤二朗は織田信長が命を落としたことで、上杉景勝は九死に一生を得たと感じたという。上杉家は謙信のご加護と捉えたようで、本拠地を移すたびに遺体を納めた龜も移動させた。佐藤は謙信の死から本能寺の変はわずか4年の出来事を知り、戦国時代の激変に驚いた。
「歴史探偵」の次回予告。
