- 出演者
- 池上彰 宇賀なつみ 伊集院光 カズレーザー(メイプル超合金) 松嶋尚美 堀田茜 浮所飛貴
オープニング映像。
堀田茜ら出演者によるオープニングトーク。堀田茜は「(100年前について)大昔の話と感じてしまいますけど、昭和って言われると身近だから、すごく不思議ですね」などと話した。
池上彰が解説。昭和元年は12月25日~31日の7日間で、昭和64年は1月1日~7日の7日間だけだった。また、東京日日新聞が元号を「光文」となる、と號外で発表するといった誤報もあった。
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- 東京日日新聞
現在の日本の人口は1億2359万人(概算値)だが、100年前の日本の人口は5973万6822人だった。日本の人口が1億人を超えたのは昭和42年だった。国勢調査は大正9年にスタート。国勢調査の基準日は最初から10月1日だった。100年前の人口最多の都市は大阪市で約211万人だった。なお、東京市は約200万人だった。東京23区は100年前にはなく、東京市15区は渋谷駅も新宿駅も東京市外だった。100年前、東京都は東京府だった。東京都の誕生は東京府と東京市の二重行政を解消するためだった。
池上彰が解説。2023年の平均寿命は男性81.09歳、女性87.14歳。1926~1930年の平均寿命は男性44.82歳、女性46.54歳。なお、平均寿命とは0歳における平均余命のこと。100年前の乳児死亡原因は、医療技術・衛生環境が不十分だったため。長寿祝いの「古希」は70歳。70歳まで生きるのは「まれ」だった。
昭和2年の男子の人気の名前は男の子 1位「昭二(ショウジ)」、2位「昭(アキラ)」、3位「和夫(カズオ)」。女の子 1位「和子(カズコ)」、2位「昭子(アキコ)」、3位「久子(ヒサコ)」。昭和の由来は中国古典の一節「百姓昭明 協和万邦」と、「明るい知識と調和のある平和」を象徴するもの。女子の人気の名前については昭和40年ごろから「✕✕子」離れが始まった。
現在、和服を着るのは記念日くらい。1925年の銀座通りを歩く男性の洋装率は67%で、女性は1%だった。昭和初期の男性の洋装は「フォーマルな背広 中折れ帽子」。東京・大坂・神戸の女性の中にはモダンガールがいた。昭和初期の流行は「夏の女性用簡易服 大坂で誕生とも」。
池上彰が解説。1927年の伝統普及率は87%。明治42年は4%だった。令和4年度では70%以上が火力発電だが、昭和初期は水力発電で火力は補助だった。大正15年・昭和元年の水道普及率は20.7%だった。ガスは「ガスかまど」などに利用され、基幹インフラに発展していった。
池上彰が解説。100年前、白米に麦を混ぜて炊いた麦飯を主食とする家庭が多かった。麦は米より安く大量調達できた。都市部では洋食が大人気となり、昭和初期には、お子様ランチを都市部のデパートの食堂で提供するようになった。加工肉の普及で肉食が徐々に拡大した。
池上彰が解説。昭和初期に都市部でパン専門店が増加。当時、アメリカは小麦の生産過多となっており、日本に売り込むために日本人にパン食の習慣を付けさせようとした。栄養指導車が小麦の調理方法を指導するなどし、昭和40年代にはパンが全国の家庭に定着。米とパンの支出金額の推移(2人以上世帯)によると、2011年にパンが米を抜いた。米飯給食は1980年代以降に全国的に普及した。
群馬・藤岡市に住む天川ふくさん(102歳)に当時を聞いた。天川ふくさんは大正12年生まれでまだまだ現役。週6日勤務している。天川ふくさんは、100年前に水道・ガスはなかったこと、お肉が贅沢品だと思っていたこと、小遣いは1日2銭、洋装の服は小学6年の卒業式の時に着たこと、ニュースはラジオで知ったこと、驚いたニュースは日中戦争、長寿の秘訣は働くこと、などについて話した。
池上彰が解説。100年前、労働人口の半分以上が第一次産業だった。現在は第三次産業の仕事をしている人の方が多い。若者たちが憧れていた仕事について、中学校(男子969人回答)の1位は軍人。女学校(女子864人回答)の1位は教育家だった。
100年前の日本の国家予算は約16億円で現在の貨幣価値に換算すると今年度の国家予算の100分の1ほど。一番多かった税収は(1)酒税、(2)所得税、(3)関税だった。
池上彰が解説。大正15年に清涼飲料税を導入。炭酸飲料に税金がかけられた。ミネラルウォーターは1980年代に一般に普及するようになった。100年前ごろは、炭酸飲料が大量生産されはじめた時代で、贅沢品とされた。
池上彰が解説。明治後期から外国人の誘致は国策の一環だった。明治45年、ジャパン・ツーリスト・ビューローが設立された。昭和5年、政府に国際観光局が設置された。当時、国際収支改善のために積極的にインバウンドに力を入れていた。
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- ジャパン・ツーリスト・ビューロー
池上彰が解説。現在日本が承認している国の数は196で、国連加盟国は193。100年前には「Our World in Data」によると68カ国。国際連盟の加盟国は54。日本と国交があった国は30カ国以上だった。100年前はまだ植民地が多かった。
100年前の輸出品の1位は生糸。輸入品の1位は実綿・繰綿。100年前の日本は紡績業・製糸業が全盛だった。高度経済成長期になると輸出1位は機械や家電になった。100年前の貿易相手国は輸出の1位アメリカ、2位中国、3位イギリス領インド。輸入は1位アメリカ、2位イギリス領インド、3位中国だった。