- 出演者
- 石原良純 小泉孝太郎
銀座の路地裏には多くの飲食店が立ち並び、銀座の人達が愛する知る人ぞ知る名店が。1つ目は「鳥ぎん 銀座本店」。創業1951年(昭和26)。都内に7店舗の支店を持つ名店。イチオシメニューが釜めし。注文を受けてから専用窯で炊く鶏肉入りの五目釜めしは他のお店では食べられないと人気に火が付きお店の看板メニューに。2つ目は「銀座 天あさ」。カウンター席と半個室がある大人の隠れ家。人気ランチメニューが天あさ定食。こだわり抜いた野菜・エビなど9品の天ぷらを堪能できる。3つ目は「銀座伊織」。わずか9坪の小さなお店で、切り盛りするのはオーナーの伊織ママだけだが、平日も休みなしで毎日1人でお店に立つパワフルママ。お昼はカレー、夜は小料理屋となる。イチオシメニューは国産の和牛を使った人気牛すじカレー。3日間煮込んだ牛すじはとろけるほどのやわらかさと和牛の濃厚な旨みが凝縮した絶品カレー。
銀座八丁目には、住所がないミステリーな場所がある。GINZA SIXは六丁目にあり、銀座ファイブは五丁目にある。銀座は八丁目までしかないが、銀座ナインは八丁目にある。住所のない場所の秘密が明かされる。
銀座に存在しない九丁目。銀座ナインの住所は、銀座八丁目7番地先。江戸時代の銀座は、水運の拠点で船を使って、江戸城や全国へ物資を運搬していた。昭和20年頃は戦後まで銀座にはいくつもの川が流れていた。川だったところが現在では高速道路になっている。時代が移っていく中で、戦争で生まれた瓦礫を投げ込み川が汚染されていった。そんな時に1964年の東京オリンピック開催が決まった。瓦礫を投げ捨て悪臭がたちこもっていた川を埋め立て、道路として整備し、世界中の人々を向かい入れるため、高速道路にしていき、1962年に首都高速道路が開通した。
銀座には四丁目と五丁目以外、一番地がない。川は中央区・港区・千代田区の区境になっていて、川を埋め立てたことで区界が曖昧になった。井手窪さんによると、銀座一丁目一番地がない理由は、将来、中央区になった時に備えて、一番地を外した。銀座なのに住所がない場所は、登記上に仮の住所「先」が書かれた場所。銀座ナインや銀座ファイブ、銀座インズは、正式な住所のない場所だった。銀座ナインの住所「中央区銀座八丁目七番地先」は仮の住所だった。
1958年に開業した銀座インズは、フランク永井「有楽町で逢いましょう」にあやかり、元々は有楽フードセンターという名称だった。銀座のブランド地位が確立してきた、1990年に銀座インズに改名した。1961年に1号館が開業した、銀座ナインも元々は新橋センターだったが、1985年に改名している。施設名の変更も、銀座の街ブランドの向上や、社会状況の変化が影響していた。
銀座には石原慎太郎や小泉純一郎のゆかりのある場所がある。1968年にオープンしたクラブ数寄屋橋は、大物作家や漫画家などが通った、老舗会員制クラブ。築地の料亭「新喜楽」での直木賞選考発表会後に、クラブ数寄屋橋で二次会が行われていた。当時から文壇バーとして日本を代表する作家たちが集まっていた。
