- 出演者
- 石原良純 小泉孝太郎 渡辺瑠海 宮川大輔
かつては小さな村だった自由が丘。知られざる謎と発展の歴史を紐解く。
自由が丘の歴史をよく知る自由が丘商店街振興組合・岡田さんのお宅へ。屋敷を囲む白壁の長さは約70m。高級住宅街のど真ん中に建つ桁外れの大邸宅。門が倉庫になっており農機具や収穫した米俵を保管している。江戸時代、この近辺は衾村と呼ばれる農村だった。岡田家は20代以上続く農家の家系で年貢の徴収や領主との折衝を行う村長的存在だったという。大門は武士が騎乗したまま通り住民は横の扉を使用していた。江戸時代、武士の専用門が全国の名主宅に建設された。敷地には京都府伏見稲荷大社から分社頂いたお社がある。区立中根公園は岡田家の土地だったが目黒区に寄贈したという。自由が丘は九品仏川が流れる谷底の土地で谷畑と呼ばれた。
自由が丘デパートは1953年創業のデパートの名称を付けた日本初の施設。創業当時からある「すし処 桃山」は折詰が人気のテイクアウト専門店。昭和30年代、子供たちの間でローラースケートが大流行し自由が丘デパートの屋上にはローラースケート場があった。ベランダは当時は時代の最先端のモダン仕様だった。
自由が丘デパートの窓からは東急東横線のホームがすぐ隣に見える。ハンガリー料理店「キッチンカントリー」は珍しい料理だがハイカラな街ならと自由が丘に創業。
自由が丘駅周辺を散策。1950~60年代、自由が丘は娯楽の中心地で映画館の多い街として知られ6館の映画館があった。熊野神社には自由が丘の歴史に欠かせない栗山久次郎の銅像がある。
熊野神社には自由が丘の歴史に欠かせない栗山久次郎の銅像がある。東の岡田家と並ぶ西の栗山家と呼ばれる衾村の名主。駅前の発展は栗山家の尽力の賜物。熊野神社には自由が丘を愛した文豪・三島由紀夫も訪れていた。
自由が丘を散策。すずかけ通りには松田聖子が手がけた店「フローレスセイコ」があった。街中にある壁画はアーティスト藤元明の現代アート作品。東急の土地を目黒区が借用しJTが喫煙所を設置するなどの街作りの取り組みが行われている。
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- Little Kitchennoteアマナイメージズグーグルフローレスセイコ自由が丘レノン・ストリート三省堂書店 自由が丘店日本たばこ産業朝日新聞社東急東急大井町線東急東横線松田聖子梅宮辰夫梅宮辰夫漬物本舗目黒区石原裕次郎羽生善治羽生理恵自由が丘(東京)舘ひろし藤元明赤いスイートピー
昭和13年創業「亀屋万年堂」は自由が丘発祥の老舗和菓子店。看板メニューは「ナボナ」。国松彰の奥さんの実家が「亀屋万年堂」で、その縁で王貞治が「ナボナ」のCMに出演していた。
自由が丘を散策。料理研究家・田村魚菜が昭和24年、自由が丘お料理塾を開設。60年間の卒業生は16万人以上。料理・ダンス・フラワーアレンジなどカルチャースクールの先駆けだった。
自由が丘を散策。カルチャーセンターがある通りは元々は九品仏川だった。九品仏川にフタがされ暗渠にあり現在は縁道になっている。自由が丘の地形は九品仏浄真寺の池を源流とした川の谷底でかつての名前は衾村。呑川と九品仏川の間に谷間がある事から村名になった。景観が良くないことなどから昭和49年に暗渠になった。2つの路線の開通とともに地名が自由が丘に。住民が勝手に命名した地名が採用されたという。東急東横線開通の翌年、自由主義教育をモットーに設立された自由ヶ丘学園。後のトモエ学園で学んだのは黒柳徹子。
「自由が丘モンブラン」はモンブラン発祥の店。1933年に創業者・迫田氏が開業時に看板商品として販売。登山好きで店名・ケーキの形もモンブラン峰をオマージュしたという。モンブランを旅している時に出会ったモンテ・ビアンコをケーキに改良し日本初のモンブランが誕生した。当時、洋菓子の認知度を広げるためレシピは作りたい職人に公開していた。「自由が丘モンブラン」は今年の秋ごろに駅前の商業施設に移転予定。
石原家行きつけのうなぎ店の店主は良純と父・慎太郎の子どもの喧嘩のようなやり取りが面白かったと語った。
