- 出演者
- 石原良純 小泉孝太郎
良純孝太郎は近鉄奈良駅から歩いて奈良公園へ。奈良公園のはじまりは興福寺。元々は興福寺の境内だけの範囲だったが、時代とともに変化し現在は東西に約4km、南北に約2kmの範囲が公園の敷地で広さは東京ドーム約109個分。歴史的・芸術的に価値の高い場所にのみ指定される名勝として日本の文化財にも指定されている。興福寺・東大寺など見所が盛りだくさん。日本文化の起源も奈良公園の至る所にある。興福寺の始まりは奈良時代。藤原鎌足の妻が夫の病気平癒を願って建立した氏寺。五重塔は120年ぶりの大規模保存修理中で2034年に完成予定。日本では明治初期まで神様と仏様を一体として信仰する神仏習合の文化があったが1868年、神道国教化を目指す政府により約1000年続いた神仏分離令が敷かれ、さらに廃仏毀釈により興福寺でも寺の破壊や撤去が押し進められ存亡の危機に。町の人々が公園にすることで存亡の危機を脱し、1881年に寺として再興を許可された。
般若の芝は芝居の語源となった能を舞う芝の舞台。若草山焼きが行われる若草山の頂上には鶯塚古墳がある。茨城県・鹿島からシカが神様を運んで来たとされ奈良では「神様の使い」としてシカを大事にしてきた。シカが食べられる高さ2m以下には草木が残らない奈良特有の景観をディアラインという。奈良公園のシカは飼育ではなく野生。鹿せんべいの代金の一部は奈良の鹿愛護会の活動資金に充てられる。
奈良公園のシカが神様の使いと呼ばれる所以となったのは春日大社。710年頃創建、全国に約3000社ある春日大社の総本社。春日大社には神域とされる立ち入り禁止の原始林がありそこにシカが神様の使いとされてきた理由がある。武甕槌命が白いシカに乗って春日大社へ降り立ちシカは神様の御使いといわれるようになった。
春日大社は日本一燈籠が多い神社といわれ江戸時代までは毎日燈籠が灯され「奈良で最も明るい場所」といわれた。御祭神は武甕槌命・経津主神・天児屋根命・比売神。年に一度、勅使が参拝する春日祭が行われる。一般人は直接見られない春日祭の貴重映像を特別公開。春日祭は毎年3月13日に行われ平安時代から1200年以上続く神事。この神事の間は一般参拝は停止される。天皇陛下の遣いである勅使が訪れ御祭文を奏上し国家の安泰と国民の繁栄を祈る。
春日大社は興福寺と深い繋がりがあり、興福寺は藤原氏の氏寺、春日大社は藤原氏の氏神。江戸時代まではお経を納める蔵が春日大社にもあり、興福寺の僧侶も頻繁にお経をあげに来ていた。しかし明治時代の神仏分離令により全く別の道へ。それでも2つの寺社の結びつきは強く毎年1月2日には興福寺の僧侶が春日大社で大神様のご加護を願い読経を行う。春日大社の御本殿は本朱を100%使用して塗り重ねる本朱塗り。約20年に一度。社殿を修復・建て替えを行う式年造替が行われる。御蓋山は神域とされ手付かずの原始林。春日大社は神聖な場所で地面を削らずに建物が建てられている。
御蓋山は野生の藤の名所。良純孝太郎は1300年手付かずの御蓋山を祈る遥拝所を参拝。御蓋山を鮮やかに見られるスポットは飛火野。万葉の昔、貴族たちが遊戯を楽しみ平安時代は花見など春の遊びを楽しんだ名所。御蓋山は百人一首の名歌でも有名。
奈良春日山酒造は140年以上の歴史を持つ。春日山原始林の地下水を使って日本酒が造られてきた。日本酒は室町時代に正暦寺で日本最古の酒造り手法・菩提酛が発祥と言われる。良純孝太郎は「上撰 升平」などを試飲し中谷堂「よもぎ餅」に舌鼓を打った。
孝太郎がどうしても行きたいという玉置神社を目指す。世界遺産・熊野古道の中腹にあり神様に呼ばれないと辿り着けないと噂される神社。日本最大級の村・十津川村は約96%が森林。十津川温泉郷として有名で村の旅館や民宿は全て源泉掛け流し。良純孝太郎はミシュランガイド奈良2017特別版で2パビリオン評価の「湖泉閣 吉乃屋」へ。十津川温泉を楽しんだ後はジビエ肉の郷土料理に舌鼓を打った。
良純孝太郎は十津川にかかる猿飼橋に寄り道した後、いよいよ神様に呼ばれないと辿り着けない玉置神社へ。山道を車で走ること30分。
良純孝太郎は世界遺産・熊野古道の秘境にある玉置神社を目指す。熊野古道は熊野三山へ通じる全長約1000kmの巡礼道。標高1076mの玉置山の山頂付近に玉置神社が鎮座している。
オープニング映像。
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良純孝太郎は神様に呼ばれないと辿り着けない玉置神社を目指す。玉置神社駐車場まで到着し本殿まではここからさらに歩いて15分。枕状溶岩は海底で噴き出したマグマが海水で冷やされて固まった岩で、標高1076mの玉置山もかつては海底だった証。大峯奥駈道は奈良県吉野山から和歌山県熊野三山まで120kmの修験道で世界文化遺産に登録されている。熊野古道は神仏習合の熊野信仰のもと身分を問わず受け入れる蘇りの地として救済と再生を願う巡礼道。修験者は道沿いの寺社に礼拝し1週間かけて120kmの道を歩き続ける。良純孝太郎は玉置神社の本殿を参拝した。第二殿には天照大御神が祀られている。
玉置神社の第二殿には天照大御神、第三殿には神日本磐余彦(神武天皇)、第一殿には国常立尊・伊邪那岐・伊邪那美が祀られている。国常立尊は日本書紀における最も初期に現れた神様で国土の形成と永続的な安定、大地の土台を守護する。玉置神社には全国的にも珍しい悪魔退散のご利益がある。玉置神社の歴史は古く崇神天皇の命により創建された。玉置神社に鎮座する理由は、神武天皇が埋めたとされる石が玉置山にありそこから玉置神社の歴史が始まった。その石が今も置かれているのは最奥にある玉石社。
玉置神社で最も神聖な玉石社へ。神武天皇御東征の際に玉を置き武運を祈願したことが玉置神社の由来であり原点と言われる。玉石社までは足元の悪い登山道の奥へ進む。
奈良公園からスタートした1泊2日の奈良旅。孝太郎は日本列島の成り立ちまで考えさせられる勉強になる時間だったなどと話した。良純は「つづら折り登ってみれば遥かなる玉置の山にいでし月かも」と詠んだ。
