- 出演者
- 石原良純 小泉孝太郎 高橋一生
今回のゲストは高橋一生。小泉孝太郎とは2014年のドラマ「ペテロの葬列」で共演したことがある。小泉孝太郎の印象について、高橋一生は真面目で実直だと話した。一方、高橋一生について、小泉孝太郎は生き方や芝居において丁寧なイメージだと話した。石原良純の印象にについて、高橋一生はとても知識があって実直な方だと話した。きょうは江戸城のすごさを探す。
現在の皇居はかつて徳川家の居城であり、そこには幻の天守がそびえ立っていた。その天守は江戸時代、明暦の大火で焼失。その大きさは地上約60m、日本最大級の城だった。驚くべきはその広さ。現在の皇居だけでなく、外堀通りの中は全て江戸城の敷地。今も江戸城の痕跡があちこちに。今回はそんな江戸城のすごさを小泉孝太郎と高橋一生に江戸城博士・石原良純が教え倒す。しかし、高橋一生の詳しすぎる江戸城トークが炸裂。江戸城があったからこそ、東京が首都になったという。そして、江戸城があった皇居に潜入。復元された江戸城の内部を公開。
一行は東京・港区の田町にやって来た。そこにあったのは無血開城碑。小泉孝太郎は2013年放送の大河ドラマ「八重の桜」で徳川慶喜を演じた。江戸無血開城と言えば勝海舟。1974年放送の大河ドラマ「勝海舟」では渡哲也の途中降板により、松方弘樹が勝海舟を演じた。2018年放送の大河ドラマ「西郷どん」では鈴木亮平が西郷隆盛を演じた。1990年放送の大河ドラマ「翔ぶが如く」では西田敏行が西郷隆盛を演じた。薩摩藩の蔵屋敷があったこの地で会談があったという。これを起点にして江戸城を巡る。東京都心を囲む外堀通りがかつての江戸城外堀。天守があったのは現在の皇居。都心5区にまたがるこの中全てが江戸城の中。赤坂見附は赤坂見附駅の付近一帯を指す地名でかつては江戸城の城門が存在していた。
最初にやって来たのは御茶ノ水駅前の聖橋。ここに江戸城外堀が巨大になった理由があるという。神田川は徳川家康が造らせた人工の川。神田川は神田山を切り込んで造った。江戸時代の地形を利用して線路を通している。江戸都市史研究科・後藤宏樹が登場。深さ約20m、長さ約1.4kmに及ぶ堀を削り出すという大規模工事。天下普請とは江戸城の工事を地方の大名に義務化させたこと。これにより、江戸城はさらに強固な城となり、工事に人員とお金を使わせることで、地方大名たちの力を削ぐ目的もあった。伊達政宗は自ら望んでここの掘削工事を行ったという。外堀の北側にあり、江戸城を守る重要な場所だった。丸ノ内線・四ツ谷駅付近も外堀が深く掘られていて地下に通せなかったため、電車が地上に出る。この外堀を手がけたのは真田幸村の兄・信之。真田濠と呼ばれた外堀はすでに埋め立てられており、現在は上智大学のグラウンドに名残りが。幅は約100m、深さ約15mで石垣や土手が残っている。
飯田橋を歩くメンバー。巨大な石垣など歴史に触れながら歩いていく。牛込門の痕跡をみながら見附だと説明をうける。高橋一生は石垣の積み方を発見。東京理科大学に協力いただき17階から石垣を見下ろす。
東京理科大学に協力いただき17階から牛込門の石垣を見下ろす。人間は右回りは苦手ということを逆手にとった作りだと防御力についてトーク。堀も土手から土手まで城が落ちないようでかい堀をつくったと説明。石垣を残すには鉄道を通すため。明治時代からの鉄道・中央線は堀を有効活用したという。鉄道、街道、舟も東京のまちづくりに活用したそうだ。城門についてメンバーは徳川が36にこだわっていたなどとトーク。
高橋さんの地元の赤坂見附を訪れた。「赤坂門」の幅は約15mあったという。江戸城の石垣や門のほとんどが、天下普請で全国の地方大名が作ったものだという。元々の幕府の見立てでは、赤坂門を今の位置より下に作りたかったが、黒田家が高台に門を設置したことで、結果として攻められにくい構造になったという。現在の赤坂見附周辺には、紀州藩徳川家の大名屋敷があり、この辺りの「紀尾井町」という地名は、紀州徳川・尾張徳川・井伊の頭文字からとってつけられたという。高橋さん達は、刻印探しを行なった。
赤坂見附に残る刻印を紹介。福岡藩・黒田家の裏の紋(家紋)が、赤坂門の石垣の刻印として使われているという。江戸城の石垣には、わかっているだけで100種類以上の家紋の刻印が残っているという。次に、「喰違門」を紹介。自然の地形を活かした土塁の門で、曲がりくねった形が特徴。そして、高橋さん達は「東京ガーデンテラス紀尾井町」の「GARB GENTRAL」を訪れた。徳川家は、かつて江戸城を中心とした町づくりで、風水の教えを取り入れていたという。そして、悪い気が通るとされる鬼門・裏鬼門に、守り神となる神社を配置した。日枝神社には、徳川家康と3代・家光公の朱印状が納められているという。
虎ノ門の歴史についてメンバーはトーク。今いる場所はため池のなか。参勤交代で人口がふえて水確保のためのため池だという。虎ノ門駅も見附。文部科学省の旧庁舎前あたりに立っていた。明治のおわりに埋め立てられたという。虎ノ門に江戸城の痕跡がある。正面にみえるのは石垣。その上を歩くメンバー。虎ノ門にのこる江戸城外堀をみてスケールを知る。地下鉄にいくと堀の水面の位置がわかる。長さ20m高さ7mほどの石垣が保存されている。江戸城の石垣は伊豆半島が産地。舟で運び30年の歳月で完成した。稲取から運ばれた石は11トン。300人で運んだという。分業で大名が担当していたなどと江戸城堀についてメンバーはトークをした。
江戸城の見附だった虎ノ門。家康は霞が関周辺に外様大名を配置。近代になると大きな敷地が官庁街となっていく。外様大名の大きな武家屋敷の土地があったから東京の要所、霞が関ができたのだ。さらに外堀をたどると、新橋に門があり、地名に名残はある。さらに銀座方面は帝国ホテルの裏のあたりにあった門は重要な拠点だったことがわかる。さらに350m先の有楽町マリオンのあたりは数寄屋橋門。現在の地名として残っているなど古地図と現在の地図を比較して外堀の状況を紹介。
一行は城を守る最後にして最強の門があった日比谷公園にやって来た。日比谷公園の歴史をたどると江戸がなぜ世界有数の人口を誇る都市になったのか、なぜ江戸が日本の首都・東京になったのかが明らかに。
「リボーン ~最後のヒーロー~」の番組宣伝。
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- リボーン ~最後のヒーロー
内堀の入口、日比谷公園にやってきた。石垣が続く。威厳を保つ技術力のある石垣。日比谷門は伊達政宗が構築。高い防御力のある門だ。日比谷公園で家康が行ったまちづくりをみる。古地図アプリで江戸時代と現代を比較して、海が広がっていた場所だった。海を埋め立てた徳川幕府のいち大事業とは!?
オープニング映像。
東京・千代田区は都心にあり、国会議事堂や政府機関の建物が集中している地域。しかし、皇居の木々や堀がやわらかい雰囲気を出している。後藤大介さんはソフトウェアの開発会社を経営し、企業の情報管理を支えている。月に3回ほどの幸福時間が写真撮影。休日の晴れた日に出かけ、電車に乗って適した場所を探す。季節ごとに変わる風景が主題。24年前、息子の誕生をきっかけにカメラを買った。以来、自分なりに撮影や写真を勉強してきた。撮る時は光の具合や写す人の配置などを頭に入れ、どうすればその場のことがよく伝わるか考える。
「私の幸福時間」の次回予告。
かつて江戸城・内堀の門があった日比谷公園。この土地は日比谷入江と言って海が広がっていた。徳川家康が江戸に入った頃、江戸城の南東部分には約5kmの浅瀬が広がっていた。神田山を削った土砂で入江を埋め立てた。将軍就任前後から2~3年埋め立てたという。全国の大名に命じ、江戸の町を大改造した。銀座や新橋は当時、江戸前島という出島だったが、周囲の埋め立てに伴い、開発が行われて江戸の物流や商業の中心地が急速に造られていった。江戸は徳川家康が入府してからわずか100年で人口が100万人を超える世界最大級の巨大都市となった。江戸の町は首都・東京の強力な礎に。交通の要所は江戸時代から変わっていない。江戸城の城門は街道の起点に、大きな堀は鉄道や道路などの交通インフラになった。
ここからは天守を目指す。日比谷公園にあった日比谷門。内堀通りは江戸城の天守を守る最後の砦。大きくて強固な門はほかにも。江戸城の北側に位置する田安門。1620年に建てられた江戸城の中で現存する最古の門。門をくぐると見えてくるのが日本武道館。現在、北の丸公園の敷地にある日本武道館にはかつて徳川家の親戚筋・田安徳川家などが屋敷を構え、北の重要拠点だった。江戸城の南にあったのが桜田門。井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」で知られる門。現存する枡形門の中で最大級の大きさ。門の脇にある桜田濠も内堀の中でも最大級の大きさを誇る。周辺には多くの有力な大名屋敷があった。それらの大きく強固な門の向こう側に江戸城の天守がそびえ立っていた。江戸城の天守があった場所に潜入。
大手門から皇居に潜入。2つ目の門は渡櫓になっていて、奥には武者隠しという敵を不意打ちするための小部屋がある。同心番所というところで徳川御三家以外の大名は籠から降りて検問を受けた。百人番所には侍が警備で常駐していた。100人の武士が交代で昼夜問わず警護をしていたという。中之門跡の近くには立派な石垣が。火災で焼け爛れた石垣もある。富士見櫓や松之大廊下跡もあり、松之大廊下は本丸で二番目に長い廊下。いよいよ天守台へ。
