2024年8月11日放送 18:00 - 18:55 日本テレビ

真相報道バンキシャ!
桝太一&後呂有紗が1週間の出来事を詳しく

出演者
伊藤宏幸 後呂有紗 伊藤遼 桝太一 池上彰 林家つる子 
(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

ゲスト紹介

今夜のゲストは池上彰、林家つる子。

(ニュース)
日本初 やり投げ「金」北口榛花選手

陸上女子やり投げで、北口榛花選手が金メダルを獲得した。オリンピックのトラックフィールド種目では、日本女子初めての金メダル。1投目でいきなり65メートル80の今シーズン自己ベストをマーク。この記録を最後まで誰も超えることができなかった。彼女が叫びながら鳴らしたのは、金メダリストだけに許される勝利の鐘。強さだけでなく、ファッションにも注目が集まった。予選後のインタビューでは、頭にチョウのヘアピン。耳にはチョウのピアス。その理由を聞くと「きれいにやりが飛んでくれますようにと思って、アイテムを増やした」と話していた。さらに決勝の競技中に食べていたのはカステラ。きっかけは、日本記録を出したときにカステラを食べていたからだといい、日本のコンビニで売っているものを両親が買ってきてくれた。明るさを見せる一方で、不安も抱えていた。去年の世界選手権では頂点に立ち、今大会は世界ランク1位で迎えたが、3年前の東京オリンピックでは、日本勢として57年ぶりに決勝進出したものの、けがもあり、最下位の12位に沈んでいた。あれから3年。基礎から鍛え直し、オリンピックの舞台に戻ってきた。競技後、スタジオに生出演した北口は食事のシーンについて「私のやり投げの武器は柔軟性で、で、体を大きく反れなきゃいけないので、おなかがしっかり伸びてなきゃいけないので」と理由を語っていた。

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卓球女子“絆”でつかんだ銀メダル

卓球女子団体は最強、中国に挑み、惜しくも勝利とはならなかったが、2大会連続の銀メダルを獲得。バンキシャは選手たちの絆に迫った。バンキシャが向かったのは早田ひな選手が中学2年生まで通っていた卓球クラブ。当時、早田選手を教えていた石田コーチは当時を振り返り「負けて泣くような子ではなかった」と振り返った。ストレッチとチューブ、そういうのを大体1時間ぐらいかけてやっていた。的確にアドバイスをする声かけは先輩や後輩との練習で、その大切さに気付いた。最年少の張本選手を支えながら、チームワークで勝ち取った決勝への切符。そして迎えた決勝。エース、早田選手と、最年少の張本選手が、今大会初めてペアを組み、世界1位のペアに挑んだ。さらに、早田選手が張本選手とコミュニケーションを重ねる。しかし日本はストレートで敗れた。試合後、カメラはお互いの健闘をたたえ合う姿を捉えていた。早田選手が2人の肩を抱き寄せ、ねぎらっていた。試合後、バンキシャは張本選手の父親に話を聞くことができた美和選手に対して、早田選手は平野選手が声をかけてるシーンが見られたが「チームとして、本当に3人の力を合わせてとった銀メダルなんで、本当にすごくよかった」と話していた。

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レスリング 元木 金&高谷 銀

レスリングでは、日本勢6個目の金メダルを獲得した。女子62キロ級に出場した元木咲良選手は決勝の舞台で相手を圧倒。オリンピック初出場で金メダルを獲得した。男子フリースタイル74キロ級では、同じくオリンピック初出場の高谷大地選手が銀メダルとなった。

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日本初銀 飛び込み玉井&近代五種佐藤

男子高飛び込みでは17歳、玉井陸斗選手が快挙を達成した。決勝に出場した選手の中で最高得点の99.00をマーク。飛び込みでは日本勢初の銀メダルを獲得した。さらに、近代五種では佐藤大宗選手が日本初の快挙達成。フェンシングや水泳など、5つの種目の合計点を競う中で、最終種目となるランニングと射撃を合わせたレーザーランで逆転し、銀メダル。近代五種、日本選手初のメダル獲得となった。

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連日メダル獲得 海外五輪で最多に

連日、メダル獲得のニュースが飛び込んできている。日本が獲得したのは、金メダルが18個、銀メダルが12個、銅メダルが13個、合わせて43個となっていて、海外で行われたオリンピックでは、過去最多となった。

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少年が遺した日記 79年前の現実

兵庫県の公民館に、ある貴重な資料が保管されている。太平洋戦争末期、当時13歳の少年が書いたものだ。少年の名前は、森本隆さん。母親と4人の幼いきょうだいと、現在の明石市で暮らしていた。食べ物が不足し、配給を受けても十分に食事がとれなかった時代。命の危険にさらされながら、13歳の隆さんは、毎日、日記を書き続けた。309日間にわたる克明な記録、そこには戦火の日常を生きる、少年の姿があった。1945年、日本各地が米軍の空襲にさらされていた。戦闘機の工場があった明石市も標的となり、6月9日には600人以上が亡くなった。空襲はさらに続き、隆さんの家のすぐ近くにあった大きな港の沖合で、進徳丸という商船学校の船が、米軍の空襲を受け、6人が命を落とした。日常の中にある戦争を、淡々と記録し続けた隆さんとはどんな人だったのか、いとこの英敏さんは当時、隆さんの家で1年ほど、一緒に暮らしたことがある。体が弱かった隆さんはいつ見ても奥の部屋でランニングの姿で、座卓に向いて、書き物してるという印象だったという。隆さんは、毎日の食事の内容もこと細かに記録していた。米が足りず、麦や豆で空腹をしのぐ毎日。それでも日記に不満を書くことはなかった。当時の隆さんの考えがうかがえるものがある。昭和19年、戦地に赴いた父親に送った近況報告に米国人を「ヤンキー」と呼び「ヤンキーにとどめをさす秋がやってきた。わが家もそのつもりでカウヨリクフウ、ホシガリハシマセンカツマデハ、フソクハイイマセンカツマデハでがんばっている」と書いていた。すべては戦争に勝つためという当時の教育が色濃く表れていた。

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1945年8月15日。日本で終戦が伝えられたこの日、隆さんは「ひるから天皇陛下おんみづからのごほうそうといわれるので、なにかいいことかとおもっていたら、となりでむじょうけんこうふくとか話している。必勝をしんじきっていたので、でまとばかりおもっていたのに、ニッキをかこうとしてしり、なんともいえぬかなしみ。心では泣けてきた。」と書かれていた。それから79年の歳月が流れた、今月3日。兵庫県加古川市に、隆さんの親族が集まっていた。近所のお墓には隆さんの名前が刻まれている。彼は終戦から3年後、病気で亡くなっていた。隆さんのめい、上田紀子さんは若いころに、子どものころに亡くなったっていうことを聞いてるんで、会ったことはないが「すごい賢い伯父さんがいたっていうのは、母からとかもおばあちゃんとかからも聞いた」と話していた。この夏、隆さんが遺した膨大な日記を、当時の隆さんと同世代の中学生の琉詩さんと紗翔さんに読んでもらうことにした。2人にとって隆さんは、おばあちゃんのお兄さんにあたる。日記を読み終えて「好きなもんは買ってもらえて、ごはんも好きなもんおなかいっぱい食べれて、そういう当たり前、今、ふだん、当たり前に過ごしている生活は幸せなことで、絶対に当たり前やとは思ってはいけないなって思った」と感想を語っていた。

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“戦火の日記”少年が遺した思い

林家つる子は「戦争を知らない世代がこれから増えていくので、伝えるということが大事なことじゃないかと思った」とコメントした。

新競技ブレイキン 五輪会場が熱狂

パリオリンピック唯一の新競技、ブレイキン。AMIこと湯浅亜実選手が圧巻のパフォーマンスを見せ、金メダルを獲得。この競技の初代女王に輝いた。一方、男子ではShigekixこと半井重幸選手が3位決定戦に臨み、メダルにはあと1歩届かなかったが、4位入賞を果たした。

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(エンディング)
エンディング

エンディング映像。

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