- 出演者
- 大本彩乃(Perfume) 西脇綾香(Perfume) 樫野有香(Perfume)
今回はダヴィンチの「白貂を抱く貴婦人」の超高精細8KCGを作成し、ダヴィンチの痕跡を探す。案内人は中川翔子。
- キーワード
- レオナルド・ダ・ヴィンチ白貂を抱く貴婦人
本日の至宝は「白貂を抱く貴婦人」。モナ・リザや最後の晩餐を描く前の1490年頃に描かれた。縦54.3センチ、横39.3センチの大きさ。クラクフのチャルトリスキ美術館に展示されている。チャルトリスキ家がイタリアで購入しポーランドにやってきた。貴婦人の腕には貂が抱かれている。描かれている動物については、イタチ、フェレットなど様々な説がある。
1490年頃のミラノを治めていたルドヴィコ・スフォルツァに仕えていたダヴィンチは、主人の依頼で白貂を抱く貴婦人を描いた。絵のモデルはルドヴィコの愛人だったチェチリア・ガッレラーニ。白貂は女性が誰なのかを表すために描かせたという説がある。チェチリアの名字ガッレラーニと白貂を表すガレーを語呂合わせでかけていると考えられている。2つ目の説は白貂はルドヴィコを表しているというもの。ルドヴィコは勲章を授与された時からエルメリーノ「白貂」と呼ばれていた。王からもらった勲章の模様に白貂が描かれていた。絵は生涯ずっとチェチリアの手元に置かれていた。
白貂を抱く貴婦人にはダヴィンチの指紋が残っている。物の輪郭などの境界線をぼかして自然なグラデーションで表現するスフマート技法を使うと、はっきりと指紋が残る。モナ・リザはスフマート技法が完成された作品で指の跡は残っていない。白貂を抱く貴婦人はスフマート技法が過渡期にある作品。目の部分には下絵の線が残っていた。スタジオでは描かれた当時の色味を再現した。
絵の裏側には「BURG1227」「DG.418.」「134」と書かれていた。クラクフのヤギェロン図書館にいは約200年前に作られたというチャルトリスキ家が所有していた美術品のリストが残っていた。リストにはダヴィンチが描いたと書かれた作品に418という番号が記されていた。DGはリストの最初のページのタイトル部分にあるドム・ゴティツキの頭文字。白貂を抱く貴婦人があった建物の名前を指していた。1830年から90年にわたって紛争や戦争から守るためにヨーロッパを転々と避難させ、当時ポーランドの多くの人々もあちこちへ逃れた。1918年にポーランドは独立を回復し、絵も戻ってきた。ポーランドの人々は白貂を抱く貴婦人に自分たちを重ねた。第2次世界対戦の最中、ヒトラーは独自の美術館を建設することを計画し、各地で美術品を奪い取った。ポーランドからも多くの美術品が奪われ、ナチスが略奪を計画した美術品のリストの中で白貂を抱く貴婦人は134番がつけられていた。白貂を抱く貴婦人はナチスに奪われてベルリンに運ばれたが、ほどなくクラクフに戻された。この絵を気に入っていたナチスの総督ハンス・フランクの命令でヴァヴェル城に運び込まれた。「BURG1227」はヴァヴェル城を意味しており、絵の認識番号として「1227」と書かれた。
クラクフ生まれの美術史家カロル・エストライヘルは、ポーランドに白貂を抱く貴婦人を取り戻すために中心的な役割を果たした。カロルはナチスに奪われた美術品についての情報をまとめたリストを作成し、戦争が終わる4ヶ月ほど前にハンス・フランクが絵を持って逃げ出したという情報が寄せられた。終戦後にドイツにあるフランクの自宅で白貂を抱く貴婦人が見つかった。1946年に多くの美術品とともに、白貂を抱く貴婦人はポーランドに戻ってきた。
エンディングの挨拶。
「若きポーランド ―色彩と魂の詩 1890-1918」展は京都国立近代美術館で6月29日まで。