- 出演者
- 合原明子
1945年3月10日の東京大空襲。太平洋戦争中、首都東京は100回以上にわたりアメリカ軍の空襲を受けた。犠牲者は推定で10万人以上に上った。実は犠牲者の遺骨のほとんどは名前がわかっておらず今も都内の施設に安置されている。多くの遺族は80年間、肉親の遺骨がない中でとむらいを続けてきた。戦後、東京都が犠牲者をどう埋葬したのかを記録した写真。膨大な死に直面して取られた非常手段が原因の一端になっていた。犠牲者一人一人がうやむやにされたことで悲劇の実相が見えにくくなってしまった。
オープニング映像。
85歳の女性は東京大空襲で母親と2人の弟を亡くした。1945年3月10日未明、東京は大規模な空襲に見舞われた。大量の焼い弾が投下され木造家屋が密集した下町では大火災が発生した。女性の家族が住んでいたのは現在の江東区。3月10日の大空襲で甚大な被害が出た。家族で生き残ったのは疎開していた女性。そして、炎の中やけどを負いながら一命を取り留めた父親だった。後に父親は亡くなった3人の最後の様子を語ったという。女性の母親と2人の弟の遺骨は今も見つかっていない。女性は納骨されていない墓で弔いを続けている。
なぜ犠牲者の遺骨は遺族の元に返っていないのか。空襲直後の光景を市民が描いた絵には大量の遺体が公園に掘られた穴に埋められている様子が。描かれているのは当時、東京都が行っていた仮埋葬。都は1944年、空襲の被害を想定し犠牲者を埋葬する計画を立てていた。本来は遺体を火葬し身元が分かる遺骨は遺族に返すことになっていた。しかし、想定をはるかに超える犠牲者が出たため、いったん土に埋める仮埋葬という非常手段がとられた。仮埋葬の様子を証言した都の元職員の音声が見つかった。当時の混乱した様子を語っている。元職員たちが当時を振り返った記録も残されていた。大半の犠牲者の身元が特定できないまま仮埋葬せざるをえなかったと証言している。1945年8月、終戦。東京の地下には空襲で犠牲になった人のほとんどが埋められたままだった。仮埋葬が行われた場所を都が記録していた情報をもとに地図で可視化した。その数、71か所。最も多かったのは大空襲の被害が甚大だった江東区。次いで墨田区、台東区。さらに、その後の空襲で西は杉並区、南は大田区にまで広がっていた。
犠牲者が埋められた仮埋葬地。その実像を明らかにする貴重な資料を今回、独自に入手した。戦後、仮埋葬地を撮影した57枚の写真。東京・台東区の上野公園にはおよそ8000人が埋葬されたと記録に残っている。私たちは空襲や写真の専門家とともに仮埋葬地を分析。すると、想定外の事態が起きていたことが分かった。名前が不明と書かれた墓標や氏名が書かれたものも存在していた。そして、複数の写真で確認されたのが大きな墓標だった。大きな墓標は身元が分からない複数の遺体が一緒に埋葬された場所に建てられたとみられる。仮埋葬は本来、遺体を掘り返して火葬し遺族に返す計画だった。しかし、仮埋葬地は遺族にとって墓地のような存在になっていた。戦後、仮埋葬地に通い続けていた89歳の男性。空襲で亡くした両親そして、2人の妹が眠る大切な場所と感じていた。妹が生前、送ってくれた手紙を今も大切に残している。
終戦から3年後、仮埋葬地である変化が起きる。仮埋葬地の一つ墨田区の原公園で当時を記憶する男性がいた。今回、入手した写真にも男性が見たのと同じ光景が写っていた。遺体を掘り返し火葬する改葬。仮埋葬地を手作業で掘り遺骨を集めひつぎに納める様子が写っている。都の元職員たちの証言によると遺体の多くが腐敗し身元が特定できない状況だった。さらに、改葬は遺族に知らせずに進めたことも明かされていた。改葬の様子を写した写真からも周りを囲って進められていたことが分かる。改葬は1951年に終了。名前が分かったのは7156。その他はすべて名前のない遺骨となった。
母親と2人の弟を亡くし遺骨が見つかっていない女性。空襲犠牲者の遺骨を納める専用の施設がいまだ作られていないことに割り切れない思いを抱え続けている。1952年、日本は主権を回復。焼け野原だった東京は都市の開発が急速に進んでいく。こうした中、空襲犠牲者の遺骨の問題はまだ続いていたことが見えてきた。江東区の妙久寺は東京大空襲の仮埋葬地だった。火葬するため遺体を掘り起こした記録が残っている。しかし、1960年代、道路工事の際に敷地から新たに遺骨が見つかった。空襲で犠牲になった人の遺骨だと受け止めた住職。今も供養を続けている。墨田区の東京都慰霊堂には現在、安置されている名前のない遺骨は10万以上。名前が分かっていて遺族に引き取られていない遺骨は3600余りとされている。母親と2人の弟を亡くした女性は今、防空頭巾をかぶって国会前に立ち国への訴えを続けている。求めているのは空襲被害の実態を調査し一人一人が生きた証しを明らかにすること。それが戦争の悲惨さや愚かさを次の世代に伝えることにつながると考えている。
エンディング映像。
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