- 出演者
- 氷川きよし 長嶋一茂 中山秀征 上田晋也 羽鳥慎一 イモトアヤコ 水卜麻美 岩田剛典 浜辺美波 志尊淳 アンミカ 岩田絵里奈 やす子 横山裕(SUPER EIGHT) 鈴木砂羽 吉村崇(平成ノブシコブシ) 井口浩之(ウエストランド) 河本太(ウエストランド) 七五三掛龍也 ヒコロヒー 別府ともひこ(エイトブリッジ) 篠栗たかし(エイトブリッジ)
横山裕の子ども支援マラソンを中継。
現役を退いてから30年、変形性股関節症を患った長嶋一茂はボールが飛ばなくなっていた。能登に1円でも多く贈るため、一茂さんにはラッキーゾーンが用意された。挑戦は全500球、HR1本につき1万円を募金する。
チャリティーホームラン中継、長嶋一茂が2本のHRを放った。
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- TOKYO GIANTS TOWN
ここからは、昨年10月に亡くなった西田敏行さんの特集。一昨年の9月、西田さんは心臓の検査を受けていた。医師からは心不全に備え手術を勧められたが、死ぬまで役者をとの思いがあった。
横山裕の子ども支援マラソンを中継。
大動脈弁の手術を先延ばしにした西田敏行。4か月に及ぶ撮影をこなし、昨年2月に手術を受けて成功、合併症も見当たらなかった。西田さんは第一次ベビーブーム、福島県の郡山で生を受けたが、幼い頃に母と別れて姉夫婦の家で育った。ひょうきんで目立ちたがり屋、感情表現も豊かで地元では人気者。実母と育ての母との間で揺れる思いもあったが、親に気を遣わせまいとする「演技」が役者人生の起点となった。東京の高校を経て劇団青年座に進み、大ヒットドラマ・池中玄太80キロで主演に抜擢。血のつながりが無い娘を愛して奮闘する姿を、西田さんは文字通り等身大で演じた。
2003年、55歳の西田敏行は心筋梗塞で倒れた。死ぬまで役者をやると決意してから20年、今度は大動脈弁を人工弁に替えた。昨年10月10日、気の合う俳優仲間と最後の外食、16日には体を動かして、付き人の運転で帰宅。しかし翌日、心臓発作で帰らぬ人となった。
氷川きよし・松崎しげるが「もしもピアノが弾けたなら」を披露。
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- もしもピアノが弾けたなら池中玄太80キロ
横山裕の子ども支援マラソンを中継。ヒルナンデス!のメンバーが駆けつけた。
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- ヒルナンデス!
チャリティーホームラン中継、ここまで糸井嘉男が7HR、長嶋一茂が5HRと奮闘。
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- TOKYO GIANTS TOWN
岩田剛典のチャリティー企画、生放送で絵を描いて13時前からオークションを開催する予定。
横山裕の子ども支援マラソンを中継。
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- 熱中症
日本理化学工業・吉田輝男さんを紹介。
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- 日本理化学工業
墨田区のキッズドア「ラーニングラボすみだ」や高槻市の「タウンスペースWAKWAK 」は子どもたちの居場所を提供。マラソン挑戦に先駆け、横山裕は涙ながらに寄せ書きを受け取っていた。
今年に鳥人間コンテストに出場したある大学生には絶対に今年出場しなければならない理由があったという。1977年に放送開始された鳥人間コンテストは湖に飛び込むだけの大会だったが、今では最長記録69.682kmとなっており大空を飛びたいという夢に向け青春をかけて挑む大会となっていた。出場するためには機体の設計図や過去の実績などを元にした厳しい書類審査を通過しなければならないという。そんな鳥人間コンテストに今年は気になる出場申込書があり、出場理由の欄に書かれていたのは「安藤には時間がない」とのこと。その安藤さんが所属する静岡大学ヒコーキ部を羽鳥慎一アナが訪ねることとなった。真夏でも軍服姿の設計チーフ・安藤裕飛さんの将来の夢は飛行機の設計士である。そのため飛行機愛が止まらず、漫画の主人公のような独り言をつぶやくこともあった。だが父・寿祥さんが4年前に見つかった大腸ガンが肝臓や肺に転移し去年ステージ4まで進行していることがわかった。自動車や船の製造に関わる技術者として働くお父さんは幼い頃からずっと憧れのヒーローだったため、お父さんのような技術者になりたいとなっていた。また誕生日には手作りの蒸気機関車ケーキが出され、安藤くんは自然とものづくりの世界に心を奪われていった。週末は決まって工場や博物館などお父さんとお出かけをし、3歳の時に連れて行ってもらった航空自衛隊の展示施設で飛行機の魅力に出会った。成長した姿を見せてお父さんを安心させたいという思いがあったが、その挑戦は簡単ではなかった。静岡大学はチーム最高記録がわずか272mという弱小チームで6年間大会に出場することもできずにいた。さらに1機の制作費が数百万円かかるといわれる人力飛行機だったが、静岡大学は弱小チームのため資金不足となっていた。それを「なければ作れ」という父の教え通り、1から何でも手作りで乗り越えてきた。節約のため連日深夜まで作業し、部員55人で力を合わせ作りあげた機体はデザインにもこだわりがあった。作るのはお父さんと見た思い出の飛行機である。
迎えた本番当日、夢の舞台に立った安藤くんは「ちょっと緊張してるんですけど正直わくわくが止まらないです」と話していた。お父さんは体調を考慮し自宅で観戦となった。思い出のF2を再現した機体は幅約30mでこだわりは細部の塗装まで行われていた。安藤くんは機体の責任者としてボートで並走することとなる。記録は44mでわずか5秒のフライトとなったが「絶望はしない。必ず借りは返します」と話していた。スタジオには安藤寿祥さんが来ており、フライトを振り返って「全然ダメで色んな人に背負っていたからこそ悔しかったが、お父さんにはよくやったと褒めてもらった」とのこと。最後には「また一からやり直して、もう一度琵琶湖に舞い戻ります」と話した。
岩田剛典のチャリティー企画を紹介。
12歳の村山夢和さんとイモトアヤコによる北アルプス登山チャレンジ。村山さんは右足形成不全によって3歳で片足を切断。皆とは違うとの思いから自分の世界を変えてくれた「スポーツ義足」、今回の企画はパラスポーツ支援に一役買うこととなる。人生初登山に向けて東京都の御岳山でトレーニング、壮大な挑戦を行っている。