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3000回以上も講演を行い、海外にも足を運ぶ盲目の先生、竹内昌彦氏を取材した。
竹内昌彦氏(79)は盲学校の元教頭で、3000回を超える講演会を行ってきた。20年前、岡山市内の旅館が障害者の宿泊を拒否するという問題が発覚し、その研修会に竹内氏が登壇した。初めての講演は46歳の時で、2000年代に入ると人権教育の高まりを受けて企業、自治体からオファーが相次いだ。中学校で行われた講演で、竹内氏は盲目ということで受けた経験、人のために励むことは自己中心的な人生よりもはるかに値打ちがあるなどと語った。
竹内氏は中国・天津で生を受け、終戦で日本へ引き揚げる船内で肺炎を患ったことで右目の視力を失った。左目もほとんど見えなくなった。小学校ではいじめに遭うと反撃する負けず嫌いで、図画工作が好きだった。だが、左目も失明し、盲学校へ進学。64年の東京パラリンピックに出場し、盲人卓球で金メダルを獲得する。岡山盲学校に教員として採用され、のちに糸子さんと結婚。だが、長子は脳性小児まひがあり、7歳の誕生日を迎える前に肺炎でこの世を去った。講演では「元気な体を貰ったことがどんなに有難く、運が良いことか、これをしっかりかみしめること」と話す。
周囲の勧めもあって竹内氏は著作を発表し、仲間たちは竹内氏の半生を描いた映画を制作した。2013年、東日本大震災の被災地で講演を行う機会があり、障害を抱える子供の保護者と懇談。竹内氏は健常者だった両親に育てられたエピソード、障害を抱える自分が障害のあるわが子を育てた経験を語った。
講演会で竹内氏は視覚障碍者の生きづらさに言及する。また、点字ブロックの普及に努め、渡り初めが行われた3月18日を点字ブロックの日と定めた。岡山市中心部の商店街に点字ブロックをつけてほしいと要望し、市や商店街の組合などと協議を重ねてきた。だが、設置直前になって商店街側は黄色に難色を示してしまう。私生活で竹内氏は短歌教室が楽しみで、賞に選ばれた作品もある。
7年前、竹内氏はアジアの国々に暮らす子供たちの目の手術費用を支援するNPO法人「ヒカリカナタ基金」を設立した。ミャンマーで暮らすピピちゃんに手術が行われ、祖母は「未来に希望が持てました」と吐露。23年12月、竹内氏はカンボジアを訪問。手術を受けた子供とその家族と対面し、家族は涙ながらに感謝した。日本から持参したクレヨン、画用紙を渡された子供たちは夢中になって絵を描いた。ヒカリカナタ基金がこれまでに治療した子供は892人にのぼっている。活動のためチャリティーオークションが開催されたり、目を治療した子供たちが描いた絵をレンタルして基金を支援する人もいる。
竹内夫妻にとって先立たれた健吾くんを思わない日はない。1000人の子供の目を治すという目標を果たしてこの世を去った後、健吾くんと再会したいという。
竹内氏の半生を描いた映画を手掛けた山本守監督は竹内氏を「闘う視覚障碍者」と評し、ガンジー、ワシントン、チャーチルにも引けを取らないという。これまでに多くの講演を聞いてきた谷口信吾氏は「その時期、その時期で感じ方が違う」と話す。辛いとき、あきらめそうになった時、竹内氏の言葉は生きるヒントをくれる。
エンディング映像。