- 出演者
- 首藤奈知子 三條雅幸 佐藤公俊 金子峻 副島萌生
オープニング映像の後に挨拶をした。
長崎に原爆が投下されて9日で78年。台風の接近にともない平和祈念式典は規模を縮小して行われる。ことし5月のG7広島サミットは、各国のリーダーが原爆資料館を訪れるなど核兵器の非人道性を世界に訴える機会になった一方、サミットの成果文書である「広島ビジョン」について核抑止を前提とした考えだとして長崎の被爆者からも批判の声があがっている。平和祈念式典では被爆2世の長崎市の鈴木史朗市長が平和宣言を読み上げ、原爆で背中に大やけどを負いながら6年前に亡くなるまで核兵器の廃絶を訴え続けた谷口稜曄さんの言葉を通して、核兵器の非人道性や原爆を肯定する風潮への警鐘を鳴らす。
深堀好敏さんは、被爆直後の写真を調査する団体の会長を20年近く務めた。ことし5月に、94歳で亡くなった。深堀さんは、16歳のときに、被爆した。原爆により亡くなった姉の存在が平和活動の原点だという。戦後、被爆の実相を伝えるため、被爆体験を語っていたが、ことばで伝えることの限界を感じた。そこで、被爆直後の写真を集め始めた。アメリカを訪れ、国内に残されていない写真も発掘するなどし、40年で、4000枚以上を集めた。集めた写真のほとんどが、いつ・どこで撮影されたのかわからなかった。撮影された場所を特定し、関係者をあたって、撮影された状況を1枚1枚調べた。4000枚ほぼすべての撮影場所や時期を特定し、被爆の全体像を伝える貴重な資料ができあがった。死後に見つかった原稿用紙には、写真の検証作業は、死者たちとの対面であり、助けられなかった人々に対する贖罪であるなどと記されていた。長崎市の山口ケイさんは、写真展で、原爆投下直後から行方不明だった兄に顔がそっくりの写真を見つけた。深堀さんは、法医学の専門家に鑑定を依頼し、写真の少年が兄である可能性が高いとわかった。市内では、被爆の写真展が開かれている。生前、交流の深かった写真家の草野さんは、深堀さんの平和への祈りを伝え続けていきたいと考えている。
深堀好敏さんは、40年にわたり、被爆直後の写真を収集してきた。被爆を経験していない人に、実相を伝えるためには、写真だという思いがあったからだ。収集した写真は、いまも、毎年長崎市で展示され、被爆の実相を伝え続けている。長崎市はおととしから、後世に伝える取り組みとして、アイディアを募り、補助金を支給する事業を始めた。写真に興味のある若者が被爆者を取材し、撮影するという取り組みもそのひとつだ。若い写真家が企画したもので、平和活動に興味のなかった若者が撮影を通して、思いに触れることができる点が評価されている。ことし、被爆者の平均年齢は初めて85歳に達した。若者の発想力などによって、継承の可能性を広げようという取り組みはこれからより一層求められる。
先月、全国で倒産した企業などの数はおよそ700件に上り、去年の同じ月と比べて40%余り増えたことが、調査会社のまとめでわかった。このうち、いわゆる「ゼロゼロ融資」の返済が難しいことなどを要因とした倒産は49件と1か月の件数としては最も多くなっている。
なでしこジャパンの最年少藤野あおば選手が準々決勝に向けて、「世界一を目指しているので、受け身にならず積極的に勝つためだけを考えてプレーできればいい」などと決意を話した。藤野選手はこれまで4試合すべてに出場し、積極的なプレーで存在感を示している。1次リーグでは初出場のW杯で初ゴールを決めた。
来月に迫ったラグビーW杯のポジションやルールを解説。フルバックはチームを最後尾から支える何でも屋。五郎丸歩さんのポジションもフルバック。責任感が非常に問われるポジション。元日本代表の田中史朗選手がポジションを動物にたとえた一覧では鷹にあたり、試合中はふかん的な視点でスペースを探す。フルバックにとって重要なのが、ハイパントと呼ばれるボールキャッチ。ジャンプしながらキャッチする必要があり、相手選手との競り合いにも勝たなければならない。
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- 田中史朗
為替と株の値動きを伝えた。