- 出演者
- 檜山靖洋 首藤奈知子 山田大樹 伊藤海彦 副島萌生
千葉市美浜区幕張新都心地区にある「ZOZOマリンスタジアム」は、完成から30年以上経ち老朽化が進んでいる。千葉市は、球場の改修や建て替えなど6案について、それぞれの費用や課題を調査しまとめた。現状維持案では工事費が最大130億円余と最安で、別の場所に新築する案は最大約650億円と最高。案ごとの優劣や方向性は示されず、千葉市は今後球団や県と協議を進め、来年度中に具体案を決めることにしている。千葉市の神谷俊一市長は、スタジアム単体ではなくまちづくり全体の観点から検討したい、費用が高額になる場合、民間からの出資も含め考える必要があると話している。
関東大震災から100年。都市計画の研究機関「後藤・安田記念東京都市研究所」で、去年12月、資料が発見された。見つかったのは、都心の地下鉄網の整備計画を示す3種類の路線図と書簡。1923年9月に起きた関東大震災の2ヶ月後、かつての東京市の幹部が内務大臣兼復興院総裁の後藤新平に宛てて提出した。このうち、第1号図と記された図面。赤い線は国営の鉄道路線で、お青い線で示されているのが地下鉄計画。地下鉄は、6つの路線が放射状に伸びている。巣鴨と恵比寿、池袋と亀戸などがそれぞれ結ばれ、郊外から都心にスムーズに移動できるよう計画されている。そして地下鉄の主要な駅は、当時国営として運行していた山手線と接続している。さらにこれらの路線が東京駅周辺で網目状に交差しているのが特徴。今の地下鉄の路線図と比べると、13路線が複雑に入り組む原状と比べて整然と並んでいるのがわかる。ナゼこのような配置になっているのか、地下鉄の歴史に詳しい専門家に見てもらった。枝久保さんは、都心に対し各ターミナルから最短経路で結ぶ、東京市がどういうまちづくりを考えていたのかが見える貴重な資料だという。当時政府は震災を機に東京を近代的な街に作り替えようと、大規模な復興計画を練っていた。幅の広い現在の昭和通りや、火災から身を守れる公園など、様々な整備が行われた。地上の復興計画に対し、東京市の幹部は地下の交通網も同時に整備すべきと進言した。震災で多くの建物がなくなったこのタイミングなら地下鉄の整備もスムーズで、コストや乗客の利便性の面からもメリットが大きいと考えた。この計画は交通混雑を解決するためでもあった。当時主要な交通手段だった路面電車、人口も増え混雑が社会課題になる中、パリやニューヨークの地下鉄を参考に、将来を見据えたまちづくりを考えていた。ただ、地下鉄は多大な事業費を要するため、復興の最終的な計画からは外された。その後も地下鉄の必要性は変わらず、時間をかけて開通していったが、街の発展に合わせる形で複雑化、幻の計画とは異なる形となった。枝久保さんは、震災直後に将来を見据えた都市計画を考えたことの意義は大きいと考えている。東京に初めて地下鉄が通ったのは震災の4年後、1927年。現在の路線網は当時の構想とはかなり変わったが、枝久保さんは基本的な考え方には近い点もあると指摘している。
全国で地域活動の担い手が不足する中、長野市はこれまで住民に依頼してきた活動の一部を見直す方針を示した。市のアンケート調査によると民生委員などの推薦や募金収集、広報誌配布などの負担が増大しているという。また住民が自主的に行ってきた道路の草刈りや防災活動などの担い手も不足している。長野市では行政が活動の一部を担うよう、年内にも見直しに向けたロードマップを作成するという。審議会の委員からは「若い世代が参加しやすい仕組みが必要」「人口減少が進む中山間地域では早期の対策」などといった意見が出された。
交通情報を伝えた。
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エンディングトーク。らんまんについて首藤さんは「久しぶりの大学は随分変わってましたかね」とコメント。
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