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オープニング映像。
2015年放送のNNNドキュメント’15「演じる、高校生」では青森空襲を題材にした高校生の演劇を特集していた。この演目は今尚高校生たちによって受け継がれてきた。しかし2025年6月、演劇部では違う演目の稽古が行われ、高校演劇の日程と重なってしまっていた。そこでOB14人が再び青森空襲の演目に向き合うこととなった。
6月1日、青森大空襲のあった7月28日まで2ヶ月を切り、演劇部の卒業生が顧問の畑澤のもとを訪ねていた。全国大会で不在の在校生の代わりにOB・OGで上演してほしいと頼まれていた。2015年4月、演劇部は青森市中央市民センターにて青森大空襲について学んでいた。1945年7月28日夜にB29爆撃機が約8万3000発の焼夷弾を投下し、青森市は市街地の約9割を焼失し、1,018人が死亡した。当時脚本を担当した女性は体験者の取材を重ねてオリジナル脚本を執筆し、女性が歴代部員たちに声をかけ、女性合わせて14人が参加することになった。この日、脚本を担当する女性は青森空襲体験者たちを取材し、OB・OGで作り上げる舞台は高校生の頃のように勢いだけでは済まされない終わらせられないという気持ちでいるなどと明かした。
この日、脚本を担当する女性は2人の参加者を連れて昭和館に訪れ、防空壕の模型などで再び当時の生活の様子などを学んだ。また脚本を担当する女性は他の2人の参加者を連れて7月19日には青森市で開催した空襲の痕跡をたどる集いに参加した。うち一人は現在も演劇を続けており、演目ごとに事前に学んで表現しているのだと明かした。脚本を担当する女性は2015年、小6で青森空襲を体験した富岡せつから話を伺い、青森空襲を記録する会から防空法が関係していたと教わった。脚本を担当する女性は防空法に詳しい早稲田大学の水島名誉教授を取材し、水島名誉教授は1941年の11月に防空法が改正された背景にはマインドコントロールの狙いがあったなどと伝えた。1981年から続く青森空襲の体験者たちの証言集などを参考に脚本を担当する女性は台本に手を加えていた。
東京で役者をしている男性はこの日、バイクで故郷に戻っていた。男性は去年に祖母を、5年前には母親を亡くしている。男性は青森空襲があったのは祖母が小学6年の頃であったなどと明かした。7月26日、男性たちは青森空襲の体験者たちが当時を語る集いに参加し、平井潤治ら体験者たちの話を伺った。
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7月26日、本番まであと2日、演劇部OB・OGたち14人は本格的な稽古を行った。出演者の中で去年母親となった女性がいる。女性は学生時代よりも実際に空襲が発生したらどうしようと考えるようになったなどと明かした。脚本演出を担当する女性は10年前とは半数以下の人数で作り上げなければならない舞台に焦りを感じていた。この日の稽古が終わった後に、娘役を演じる女性が合流した。7月27日、ホールのステージを借りて稽古を行った演劇部OB・OGたち。娘役の女性は学生時代の頃はセリフを覚えることや演じることで精一杯であったが、いまは伝えることが大切なのだと感じているなどと明かし、女性の演技の表現が演劇部OB・OGたちの空気感を一変させ、ひとつにまとまり始め、青森空襲を伝えるために稽古をし続けた。
7月28日、青森中央高校演劇部OB・OGによる舞台「7月28日を知っていますか?」が公演した。観劇していた空襲体験者の三上らは青森空襲は悲しい出来事であったが、それから80年、自分たちは元気に頑張ってきたと感じたなどと語った。参加者たちは青森空襲当時を想像し、もうこんなことは起きないでほしいと思いながら表現していたなどと明かした。舞台に参加した男性はこの秋、戦争の芝居で役を獲得し、女性は地元の歴史に向き合ったステージに上がり、母となった女性は家族にも伝えていくと告げた。脚本演出を担当した女性は日本カメラ博物館特別展に訪れ、今後も舞台「7月28日を知っていますか?」に続く作品を作っていきたいのだと明かした。4月から11月の毎月1日には平和の鐘が響いている。
次回予告。
