2025年12月8日放送 0:55 - 1:25 日本テレビ

NNNドキュメント’25
「復興の路<みち>」

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(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

復興の路

路面電車の街には最新型からレトロなものまで様々な車両が絶え間なく行き交っている。80年前の広島の街で路面電車を走らせていたのは女学生であった。1945年8月6日、原子爆弾が投下された後も焼け野原に電車を走らせていたのは少女たちであった。しかしその役目は戦争とともに終りを迎えた。80年が過ぎ、元女学生は僅かとなった。

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原子爆弾
復興の路

広島市中区にある広島電鉄千田車庫には修学旅行の学生たちが訪れていた。広島には7つの路線が張り巡らせられ総距離34.6kmとなっている。650形は最古参で80年前のあの日を生き延びた被爆電車で今なお活躍している。路面電車を運転してきた女学生たちの母校の名は原爆犠牲者の慰霊碑に刻まれている。2003年前に広島電鉄を取材した際には地下倉庫に眠っていた女学校の名簿が見つかった。当時戦局が悪化し人手不足となり女性乗務員を養成するための学校が創られていた。名簿には309人の少女の名が記載されていた。少女運転士第1号となった中村らは当時は緊張して足が震えていたなどと明かしていた。1945年8月6日、月曜日の朝、多くの路面電車が稼働している中、原爆が投下され、女学生30人が死亡した。元女学生の増野幸子を取材。増野は原爆投下当時体調不良で部屋で寝ており、ガラスが刺さって血だらけになったなどと明かした。増野の従姉である児玉豊子は投下3日後に焼け野原に戻り路面電車を運転していたという。

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広島電鉄千田車庫に訪れた増野と中村は慰霊碑に祈りを捧げ、被爆電車に乗車して当時を思い返し、皆に自分たちのことを知ってもらいたいのだと明かした。焼け野原から広島の地は様変わりし、被爆電車は走り続けている。

キーワード
千田車庫広島電鉄
(エンディング)
次回予告

次回予告。

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