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「エストネーション」 のテレビ露出情報

2015年以降ウォーターフロントの業績は下降。21年には創業者の林秀信が亡くなった。このピンチからの立て直しを託されたのが吉野だった。経営のプロで、参画した21年から売上は5年で3.5倍になった。吉野は1982年に百貨店の伊勢丹に入社し、バイヤーや子会社の経営企画を務めていた。伊勢丹をやめ、セレクトショップのエストネーションをオープンし話題を呼んだ。その後民事再生のさなかにあった靴下メーカーの福助から再建の話が舞い込んだ。押切もえさんと蛯原友里さんとコラボしたストッキングやタイツなどを販売し、これが当たり福助は蘇った。こうした実績を買われ、吉野は再生請負人としてウォーターフロントへ。当時の状況はかなり厳しかったというが、トップダウンの体制だったために指示待ちになっていたという。これまでは林がすべてを決めて社員は従うのみ。吉野は社員自ら動く組織づくりを始めた。目をつけたのは客の声で、自由が丘の直営店では、スタッフがお客の様々な声を聞きこれを本社の開発部と共有し、月に2回開発会議を行うようになった。この会議には商品開発やデザイン担当だけでなく、全ての部署が参加。開発プロセスを変えると、次々と新商品が誕生した。その一つが衝撃を回って受け流すキッズスピンキャノピー。安全な子供用の傘が欲しいという要望に答えた。創業者の林は回すときれいに見える傘を開発していた。その回る構造だけを取り入れて子供用傘に。こうしてチームで考える組織になりV字回復。
吉野はファッションモデルを起用し、靴下メーカーの再建を図った時の話について、当時は生足ブームでストッキングなどは見向きもされていなかったが、ファッションモデルで影響力がある人を起用すれば売れると思ったという。またウォーターフロントの再建について、創業者の独自性が光っていて、それを支える生産背景を持っているとなると今は苦戦しているが資質があれば復活できる上にもっと大きくできると考えたと答えた。しかし社長があまりにもカリスマだったために、残っているメンバーでどう高めていくかと考え、お客の意見を取り入れれば社長と同じように新しい価値が創造できると感じたという。また当初はその体制にもっていくのに時間がかかり、試行錯誤もあったと答え、社員が自立していくのに我慢したこともあったなどと答えた。

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