地下鉄サリン事件からあすで30年。山梨県旧上九一色村にあった、オウム真理教の施設「第10サティアン」。ここには信者の親と一緒に出家した子どもたちも暮らしていた。カルト教団の教えに染まった「宗教2世」外の世界と隔絶された異常な環境で育てられていた。1995年3月20日オウム真理教が引き起こした「地下鉄サリン事件」。警察庁の音声記録には緊迫したやり取りが残っていた。この事件では、14人が死亡し6000人以上が負傷した。事件後警察は、教団施設を一斉捜索。中にはオウムのヘッドギアを付けた子どもの姿もあった。4~14歳の53人が甲府市の児童相談所で一時保護される。児童相談所の職員だった保坂さんは、子どもたちと会った時の印象について「別世界から来た人」のような不気味さを感じたと話した。
児童相談所に保護されたオウムの子どもたちが残した日記には「はやくオウムにかえせ」と記されていた。児相の職員に対し”敵意を持っていた”というオウムの子どもたち。元職員の保坂さんたちは「まず受け入れる」「とにかく信頼関係をつくる」ことを第一に対応していたと話す。一時保護から約1か月後、警察は教祖・麻原彰晃(松本智津夫元死刑囚)を逮捕。すると、子どもたちに徐々に”変化”が現れる。他人にも目を向けられるようになり、日記の内容にも変化が見えた。その後、子どもたちは社会復帰のために県外の施設へ順次移送された。1995年7月12日、最後の一人が保護所を去った。53人の子ども達は今30~40代になった。
児童相談所に保護されたオウムの子どもたちが残した日記には「はやくオウムにかえせ」と記されていた。児相の職員に対し”敵意を持っていた”というオウムの子どもたち。元職員の保坂さんたちは「まず受け入れる」「とにかく信頼関係をつくる」ことを第一に対応していたと話す。一時保護から約1か月後、警察は教祖・麻原彰晃(松本智津夫元死刑囚)を逮捕。すると、子どもたちに徐々に”変化”が現れる。他人にも目を向けられるようになり、日記の内容にも変化が見えた。その後、子どもたちは社会復帰のために県外の施設へ順次移送された。1995年7月12日、最後の一人が保護所を去った。53人の子ども達は今30~40代になった。