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「サリン」 のテレビ露出情報

オウム真理教による地下鉄サリン事件からきのうで30年。1995年3月20日午前8時21分、通信指令本部に1報が入った。原因物質特定を急ぐため科捜研から3人が向かった。このうち科捜研第二科学科長(当時)・安藤皓章は事件の2年後に右目を失明、7年後には脳梗塞を発症し失語症が進んでいる。ともに現場に向かった野中弘孝も事件後に複数回脳梗塞を発症した。当時、先に現場に入った捜査員が倒れて搬送されるなど液体に近づくのは危険な状況だった。液体を吸わせるため、脱脂綿をロープの先にくくりつけて開いた窓から投げ入れ、野中が回収して分析室へ運んだ。午前9時53分に液体がサリンと判明した。早い段階で化学物質を特定出来たことで医療機関でサリンに対応した解毒剤の投与も進んだとされている。2日後の3月22日、警視庁はオウム真理教への捜査に乗り出した。安藤は当時について「あの事件は大変だった」、野中は「あの日自分たちがやれることは“原因は何なのか”を明らかにすることだった」としている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年4月7日放送 1:28 - 2:28 TBS
ドキュメンタリー「解放区」証言 ~オウムと山梨 30年目の真相~
オウム真理教は上九一色村にて化学兵器・サリンを製造していた。江川はオウム真理教は正規の手法選挙に出て世の中を変えるだけでは間に合わないとし、教祖の指示であれば人をも殺すことが善になるという教えをしていたなどと分析した。竹内は当時、サリンが作られていたサティアンで防毒マスクを身に着けた信者たちの姿を見て異様さを感じていたなどと伝えた。1994年4月30日、防毒[…続きを読む]

2025年3月24日放送 19:30 - 20:42 NHK総合
クローズアップ現代放送100年 テレビが伝えた“あの日”と未来
メディアによる報道の危うさがあらわになる松本サリン事件。長野県松本市の住宅街に猛毒の神経ガスサリンがまかれ、8人が死亡、140人以上が被害を受けた。後にオウム真理教が裁判官の官舎を狙って起こした事件だと判明したが、当初疑惑の目が向けられたのは現場近くに住む第一通報者の男性だった。事件の翌日、警察は犯人を特定しないまま殺人容疑で男性宅を家宅捜索。薬品類を押収し[…続きを読む]

2025年3月22日放送 12:40 - 12:45 NHK総合
Nスペ5min.(Nスペ5min.)
30年前の1995年3月20日、都心を走る地下鉄の車内で猛毒サリンが撒かれた。死者14人、負傷者およそ6300人。オウムは事件の後95年11月、麻原彰晃を日本の王にするためのクーデターを起こそうとしていた。その計画は“11月戦争”と呼ばれた。11月戦争ではまずヘリコプターで東京上空から大量のサリンを散布、警視庁を占拠し警視総監を人質に取る。そして武装した信者[…続きを読む]

2025年3月20日放送 23:00 - 23:59 日本テレビ
news zero(ニュース)
元自衛官の宮澤重夫さんは地下鉄サリン事件発生時、除染のため構内に入った。事件が起きたのは30年前の3月20日。オウム真理教の教祖・麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚が信者たちに指示し、教団が製造したサリンを地下鉄の車内でまいた。この無差別テロによって14人が死亡。負傷者は6000人以上に上った。サリンは化学兵器として開発された毒ガス。ごく少量でも視覚障害や呼吸停[…続きを読む]

2025年3月20日放送 15:49 - 19:00 TBS
Nスタ(ニュース)
今日で「地下鉄サリン事件」から30年。1995年3月20日、当時のオウム真理教の信者が東京・霞ケ関駅を通る地下鉄の3路線で猛毒・サリンをまき14人が死亡、約6300人が被害に遭った。今日、東京・霞ケ関駅では事件があった時間に合わせて駅の職員らが黙とうを捧げた。駅構内には献花台が設けられ、遺族らが花を手向けて犠牲者を追悼した。オウム真理教による一連の事件では2[…続きを読む]

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