大阪に本社を構える沢井製薬。その歴史はおよそ100年前、創業者夫婦が営む小さな薬局から始まった。戦後の経済成長真っ只中のジェネリックが世に出始めたタイミングで医療用医薬品へとシフト。その後、国がジェネリックの新興を押し進めるとその流れに乗った。今や従業員数約3300人で売上高1890億円とジェネリックの販売シェアでは国内No.1を誇る。今回、社内のある場所を特別に見せてもらうことができた。いくつもの扉の先には約800品目で年間166億錠を製造する沢井製薬の心臓部があった。最初に作られた薬は特許が最低20年間は守られ、その間は独占的に販売できる。一方、特許が切れたあと他のメーカーが作るのがジェネリックである。開発費が省け値段を抑えられ国も医療費削減のために普及を進め、使用率は薬のおよそ9割にも及ぶ。例えば第一三共が開発したロキソニンは鎮痛剤として有名だが、1997年に特許が切れたあと沢井製薬をはじめ19社からジェネリックが発売された。しかし後発薬だからといって簡単に作れるわけではないという。公開される情報は有効成分の量や添加剤の名前くらい。そこで後発各社は競争を勝ち抜くため即時の技術を駆使することになる。少ない水で薬が早く溶ける沢井の独自技術は水分を制限されている患者や飲み込む力が弱い高齢者に優しい工夫である。ジェナリックが不足する中、沢井では特別チームを立ち上げていた。その製品戦略部を取りまとめるのが黒田正城さんである。15年前に外資系医療機器会社から転職してきた黒田さんはマーケティングや営業で戦略の立案を手掛けた手腕が買われ、今回このプロジェクトに抜てきされた。
発端は5年前のある事件に遡る。ジェネリック大手・小林化工で水虫治療薬に睡眠導入剤が混入し、約250人が健康被害を訴えて2人が亡くなった。その後も国の承認を得ていない製造方法やデータの改ざんといった不祥事が発覚して行政処分が相次ぎ製造が停滞した。今でもジェネリックの約2割が供給不足に陥っている。かつて炭鉱の町として知られた福岡・飯塚市に黒田さんの姿があった。去年から稼働を始めた第二九州工場の新棟は沢井製薬の工場の中でも最大規模を誇る。370億円以上を投資して作られた最先端の製薬工場で黒田さんはさらなる増産ができないか依頼に来ていた。できてから日が浅い新工場は工場長の話では急な増産には人手が追いつかないという。舞台は九州から北陸となり、やって来たのは福井県のあわら温泉。沢井は増産に向け、以外な一手を打っていた。この町には全国に8つある沢井の工場の1つがある。グループ会社であるトラストファーマテックの工場で年間30億錠の生産能力がある。案内してくれたのは工場長の柳敏宏さん。増産に向けて準備中の第三工場となっていた。事件後、小林化工が事業を撤退すると従業員400人と製造設備を沢井が引き受けていた。新会社・トラストファーマテックとして生まれ変わっていたのである。案内してくれている工場長の柳さんは沢井製薬から出向し新会社の立ち上げから見守ってきた。薬不足の原因となる品質問題が起きた工場で問題を解決するという大胆なアイデア。
発端は5年前のある事件に遡る。ジェネリック大手・小林化工で水虫治療薬に睡眠導入剤が混入し、約250人が健康被害を訴えて2人が亡くなった。その後も国の承認を得ていない製造方法やデータの改ざんといった不祥事が発覚して行政処分が相次ぎ製造が停滞した。今でもジェネリックの約2割が供給不足に陥っている。かつて炭鉱の町として知られた福岡・飯塚市に黒田さんの姿があった。去年から稼働を始めた第二九州工場の新棟は沢井製薬の工場の中でも最大規模を誇る。370億円以上を投資して作られた最先端の製薬工場で黒田さんはさらなる増産ができないか依頼に来ていた。できてから日が浅い新工場は工場長の話では急な増産には人手が追いつかないという。舞台は九州から北陸となり、やって来たのは福井県のあわら温泉。沢井は増産に向け、以外な一手を打っていた。この町には全国に8つある沢井の工場の1つがある。グループ会社であるトラストファーマテックの工場で年間30億錠の生産能力がある。案内してくれたのは工場長の柳敏宏さん。増産に向けて準備中の第三工場となっていた。事件後、小林化工が事業を撤退すると従業員400人と製造設備を沢井が引き受けていた。新会社・トラストファーマテックとして生まれ変わっていたのである。案内してくれている工場長の柳さんは沢井製薬から出向し新会社の立ち上げから見守ってきた。薬不足の原因となる品質問題が起きた工場で問題を解決するという大胆なアイデア。
