東南アジア各地を占領下におき軍政を敷いた日本。アジアの占領下の人々は日本占領下の暮らしについて日記に書き残していた。歓迎の言葉を残していたのはジャワの人々。インドネシアでは長年続いたオランダの植民地支配から日本の解放に期待する声があがっていた。日本軍は異なる文化をもつ人々に日本化を押し進めた。宗教が異なる現地民に天皇は神だと教えた。占領により生活が苦しくなっていく様もつづられていた。これまで貿易で経済を成り立たせていた東南アジア。占領で関係が断ち切られ経済状況が悪化した。一方、日本への批判を記していたフィリピン。フィリピンはアメリカから将来の独立を約束されていて日本が掲げる解放のスローガンに共感がうまれなかった。状況に対し日本軍は占領の正当性を解く映画を作成した。日本軍は5月、フィリピン全土を占領した事を記念しマニラでパレードを行った。穀物関連の団体を運営していた男性は冷ややかな目を向けていた。息子はアメリカ軍に参加し捕虜となっていた。直面していたのはのちに戦争犯罪として厳しく問われるバターン死の行進。炎天下を歩かされ命をおとしていった。ジュネーブ条約を批准していなかった日本。日本軍の存在は一般市民の生活も脅かしていく。占領当初、強姦が多発した。日本は厳しく禁じたが徹底されることはなかった。