安藤は高度経済成長のさなか1958年に生まれる。安藤は弁護士を目指し名門の中央大学法学部に入学。しかし司法試験に2回チャレンジするも失敗。ここで人生の岐路が訪れる。来年も司法試験に挑むのか、それとも就職をするのか。司法試験を断念、弁護士の道を諦めた安藤が新たに目を向けたのが当時DCブランドが一世を風靡していたアパレル業界。安藤は情報最先端基地として人気を誇っていた西武百貨店の試験に合格し就職、配属されたのは当時の西武ではおまけのような存在だった趣味雑貨部門。それでもいつかアパレルをやれることを信じ雑貨担当として安藤の社会人生活は始まった。すると6年後、大きな転機が訪れる。当時西武セゾングループの創業者、堤清二がある構想を立ち上げた。これまでにない新たな雑貨の専門店、それがロフトだった。当時雑貨の店といえば東急ハンズの独壇場でロフトが成功するには差別化が必要だった。ロフトのコンセプトは「時の器」、時代と向き合い変わり続けていくこと。当時28歳の安藤が任されたのは6階のワンフロア。そこから安藤はチーフバイヤーとして米国やメキシコヨーロッパ各国など1年間で6か国をまわる。自分が見て楽しくなる雑貨を集めまくった。安藤の買い付けに不安の声もあがるなか、開業するとムービングフロアは連日の大盛況。全フロアの中で売り上げトップになった。渋谷店での成功で以降ロフトは全国に展開していき97年には札幌に大型店を出店することが決まった。このとき38歳の安藤はロフトの命運を左右する大きな岐路に立たされることになる。札幌ロフトの開業にあたって当時専務だった金谷から「札幌では食品をやってみないか」との提案。この提案に安藤は戸惑った。実は当時の社長、安森はロフトはノンフーズノンアパレルと食品は扱わない方針を明言していた。それでもロフトにはバイヤーが商品の選定を自由に決める風土があった。安藤は手に取ってワクワクするような輸入食材の調味料やパスタなどをそろえた。オープン当日の朝、社長の安森が視察にやってきた。結局仕入れた分を売り切ったあと札幌ロフトは食品から撤退。するとその数か月後、今度は大阪・梅田のロフトがリニューアルをすることに。競合店の進出で売り上げが低迷しその商品担当を安藤がやることになった。再び食品をやりたいという強い衝動に駆られるもやはり社長・安森の存在が頭にチラついた。安藤公基は「仕事でやりたいと思ったことはやらなきゃ気が済まない」。ロフトでは初めてとなるワイン売り場まで開設、そこではワインに合う食材を前面に押し出した。安藤は全国の食材を集めた限定イベントを定期的に開いている。バイヤーとして実績を積み上げた安藤は仙台、梅田のロフト館長や商品部の部長など出世の道を歩み2016年に社長に上り詰めた。安藤が始めた食品は商品数を増やし売り上げも順調に伸ばしている。