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「ベトナム戦争」 のテレビ露出情報

文洋さんは長野県・諏訪市に暮らしている。この日はこれから出版する新たな写真集の編集などに追われていた。自宅にはこれまで撮りためた写真やネガなど10万点以上が保管されている。それらすべてを故郷の沖縄に寄贈したいと考えている。那覇市・首里は1938年に文洋さんの生まれた場所。父は琉球の時代小説や沖縄芝居の脚本を手掛けた作家の石川文一。執筆にのめり込んだ父は文洋さんが4歳の時に仕事の幅を広げようと家族を連れて本土に移住した。石川家の菩提寺である万松院に両親や兄弟が眠っている。物書きだった父の背中を追うように高校を卒業するとジャーナリストの道に足を踏み入れた。初めてベトナムに渡ったのは1964年の8月。アメリカがベトナム戦争に本格的に介入するきっかけとなったトンキン湾事件の直後のことだった。母はアメリカ軍に同行し刻々と戦況が厳しくなる戦場の最前線で命がけで写真を取り続ける息子のことを何も言わずに見守っていたという。そこは地獄のような現場だった。銃撃戦のさなかに身を伏せて撮った写真もある。兵士が手にバラバラになった遺体を持っている写真もある。被害者は人間としての尊厳を奪われ、加害者も人間性を失っていくという。戦争の実相が映し出されている。戦地から帰った文洋さんはベトナムで多くの人の命を奪っている爆撃機が故郷である沖縄からでていくのを目の当たりにした。
この日は当時取材した新垣さんの元を訪れた。ベトナム戦争の頃、沖縄では日本への復帰運動が盛り上がっていた。 1969年本土の仲間たちの支援を求めて上京した沖縄代表団を写した写真。代表団の1人だった新垣さんは沖縄が平和憲法の元に帰り、重い基地負担から解放されることを願っていた。その思いの根底にはかつての沖縄と同じように地上戦に巻き込まれたベトナムの人たちへの思いもあった。文洋さんも同じ気持ちだった。ベトナムの戦場で撮影した人々は沖縄戦を逃げ惑った祖父や故郷の人々と重なっていた。あの頃が忘れ去られようとしている今、沖縄は再び揺さぶられていた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年6月29日放送 4:50 - 5:20 テレビ朝日
テレメンタリー2024(オープニング)
1960年代国が南北に分かれて対立するなかアメリカとソ連が介入し、泥沼化したベトナム戦争。沖縄戦のあと27年間アメリカの統治下に置かれた沖縄はこの戦争の出撃基地として使われた。沖縄から送り出された兵士と基地から飛び立った爆撃機が無差別の攻撃を繰り返し、民間人を含む300万人以上が犠牲になった。海の向こうの戦争を戦場のベトナムと出撃基地だった沖縄の両方で取材し[…続きを読む]

2024年6月21日放送 4:15 - 5:00 NHK総合
国際報道(ニュース)
ベトナム・ハノイから鈴木支局長が中継。ベトナムは旧ソビエト時代から深い結び付きがあり、現地は歓迎ムード。旧ソビエトはベトナム戦争で北ベトナムに軍事・経済支援を行い、戦後ベトナムがカンボジア侵攻で孤立した際も支援した。ウクライナ侵攻による欧米の経済制裁にベトナムが参加しないのも、この時の支援に感謝しているためとみられる。ベトナムと関係を深めているアメリカはプー[…続きを読む]

2024年6月20日放送 10:05 - 10:55 NHK総合
キャッチ!世界のトップニュース(ニュース)
北朝鮮の訪問に続いてプーチン大統領が向かったのはベトナム。ウクライナ情勢を巡って、欧米と激しく対立するロシアとしては旧ソビエト時代から伝統的に友好関係にあるベトナムとの関係強化を示すねらいがあるとみられている。旧ソビエトからの支援はベトナムの戦争と国家建設の歴史において不可欠な役割を果たした。そして、今ベトナムからロシアへの支援の手が差し伸べられている。1か[…続きを読む]

2024年6月16日放送 22:50 - 23:00 NHK総合
世界の居酒屋10min.(世界の居酒屋10min.)
ベトナム・ダナンで昼間から賑わう大衆酒場を取材。客席は約200にのぼるが、11時30分頃にはほぼ満席となっていた。地ビールは1本50円で、10本飲むと美味しくなるという。現地の人々は食後、1時間の昼寝をしてから仕事を再開するのが一般的。また、フランス領だった名残から、人々はパンが好きだという。新鮮な魚介類を使った酒肴は一皿300円となっている。元漁師で店主の[…続きを読む]

2024年6月3日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀バタフライエフェクト)
1951年9月に日本はサンフランシスコ講和会議で条約に署名し、その後は日米安全保障条約に署名した。安保条約は不平等条約だったこともあり、砂川闘争や安保闘争につながっていった。そうしたこともあり当時の首相の岸信介は日米安全保障条約の改定を目指した。ただ唐牛健太郎が率いる全学連が安保改定に反対の立場を示した。そこで羽田空港を占拠するという事件を起こした。しかし1[…続きを読む]

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