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「ベトナム戦争」 のテレビ露出情報

冷戦の最中、南北に分かれていた当時のベトナム。旧ソビエトや中国の支援を受ける北ベトナムに対し、共産主義の拡大をおそれたアメリカが今のホーチミンを首都とする南ベトナムを支援。1965年には本格的に介入し戦争は泥沼化していく。そして50年前のきょうサイゴンが陥落し、戦争は終結した。ベトナム側の死者は兵士や民間人合わせて300万人以上といわれ、多くの子どもたちも傷ついた。先月、ベトナム戦争で最悪の虐殺事件とされる現場で犠牲者を弔う追悼式が行われた。1968年3月16日アメリカ軍の部隊が当時ソンミ村と言われた村を襲撃し女性や幼い子どもなど504人もの住民を殺害したソンミ事件。事件当時10歳だった男性は目の前で母親や兄弟など家族5人を殺害された。戦後もアメリカに強い憎しみを抱いてきたという。転機が訪れたのは1992年、家族の墓がある故郷に戻り、ソンミ事件を伝える地元の資料館で働くことになった。ここで資料館に訪れた人の感想ノートをみると記されていたのは資料館を訪れたアメリカの軍人やその家族の言葉。「この戦争に関与したことを恥じている。アメリカ政府がここで私に命じたことは絶対に間違っていた。」「恐怖、悲しみ、罪の意識。ここで起きた残虐行為の意味を私はいまだ理解することができない。」というメッセージに驚いた男性。それ以降憎しみからは何も生まれないのではないかという気持ちが芽生えたという。しかし、割り切れない気持ちとたたかっている。一方、ベトナムには戦争がもたらした別の課題も残されている。ベトナム人女性とアメリカ兵との間に生まれた子どもの存在。アメリカ兵とベトナム人の間に生まれたと思われる女性は敵国アメリカの子どもなどと激しい差別を受けたこともあったという。戦争中サイゴンはアメリカ兵と地元の女性との間に2万人以上の子どもが生まれたとされている。その多くは養子縁組などでアメリカに渡ったとされるが今も国内に数百人が暮らしているとみられている。父親が帰国し、母親と生活が困窮していた女性はアメリカ人の父親探しを支援する団体の協力を得て、DNA検査で米軍が管理する退役軍人のデータベースと照合したところ、父親が判明。父親は生存していることはわかったが、現在の住所や連絡先は不明だという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年10月17日放送 10:05 - 10:55 NHK総合
キャッチ!世界のトップニュース映画で見つめる世界のいま
「ワン・バトル・アフター・アナザー」を紹介。藤原帰一さんはキーワードをあげるとすれば、人種差別と移民迫害だとした。原作ではベトナム戦争とレーガン大統領、本作ではイラク戦争とトランプ大統領を描いている。主演のレオナルド・ディカプリオが頼りない男だが、一人娘のことが何よりも大切、情けないほど頼りないが愛情深い幅広い役を演じているという。ショーン・ペンは白人至上主[…続きを読む]

2025年10月9日放送 8:00 - 9:55 テレビ朝日
羽鳥慎一モーニングショー(ニュース)
視聴者からLINEで質問・意見を募集している。パネルコーナーはTVer・ABEMAで配信中。
ノーベル平和賞はあす午後6時頃発表される。トランプ大統領はノーベル平和賞受賞の功績をアピールした。専門家は「アルメニア・アゼルバイジャンの和平協定以外はノーベル平和賞を意識したもの」と話した。ネタニヤフ首相はトランプ大統領をノーベル平和賞に推薦したと明かした。各国[…続きを読む]

2025年9月28日放送 18:30 - 20:50 テレビ東京
池上彰×吉永小百合 昭和100年(池上彰×吉永小百合 昭和100年)
吉永さんはベトナム戦争があった地を巡っており「見て歩くことで自分が知らなかった場所や知らなかったことを知るために博物館や記念館はきちっと行くようにしている。(今年は戦後80年だが)戦後100年になるといいですね」などと話した。池上さんは「吉永さんは東京大空襲の直後にお生まれになったんですよね」と言うと吉永さんは「直後といいますが、私の方の地区は渋谷区なんです[…続きを読む]

2025年8月16日放送 18:56 - 21:54 テレビ朝日
池上彰のニュースそうだったのか!!池上彰の戦後80年SP 日本の第二次世界大戦
今年は戦後80年の節目の年。終戦の日、日本では犠牲者を追悼し平和を認識する雰囲気になる。アメリカの終戦日は9月2日も9月初旬は「労働者の日」という印象。第二次世界大戦は完全勝利したため思い入れがない人も多い。ニューヨークには空母イントレピッドが展示されている。日本の戦艦「武蔵」「大和」と戦い撃沈に繋げたという勝利の象徴。博物館として内部が公開され観光名所とな[…続きを読む]

2025年8月12日放送 10:25 - 13:00 テレビ朝日
大下容子ワイド!スクランブルピックアップNEWS
黒井慶次郎さんは、満州事変の翌年の1932年に召集令状が届き20歳で入隊。中国での戦闘に2年間加わった。その後、太平洋戦争が始まる1941年に再び召集され中国戦線に投入された。当時慶次郎さんがしるした日記には「荒れ狂う北満の寒風の中、砲煙弾雨の中を物ともせず堂々と進む我戦車の偉容」と使命感が表れた勇ましい言葉が並んでいた。しかし戦地から戻った慶次郎さんから勇[…続きを読む]

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