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「ボスポラス海峡」 のテレビ露出情報

秋篠宮ご夫妻は12月3日からトルコ共和国を公式訪問された。日本政府と外交樹立100周年を記念してトルコ政府から招待を受けて実現した。ご夫妻がトルコを訪問するのは初めて。最初に訪れたのは首都アンカラ。到着翌日にアタテュルク廟を訪れ、トルコの初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクの棺に秋篠宮さまが花輪を手向け、ご夫妻で拝礼された。この後、秋篠宮さまは大統領府のエルドアン大統領を表敬訪問、天皇陛下からのメッセージを伝えた。紀子さまはエミネ大統領夫人の案内で大統領府にある図書館を見学、子供たちと交流した。チューリップが描かれたお皿をプレゼントされると、トルコ語でありがとうとお礼を言った。
秋篠宮ご夫妻はアンカラの南東にあるカマン・カレホユック遺跡も訪れ、現地で研究を続ける日本人の考古学者から説明を受けた。1985年に始まった遺跡調査には三笠宮家が三世代にわたって支援を続けている。古代オリエントの研究者だった三笠宮さまは遺跡調査の最初の鍬入れを行った。長男・寛仁さまは現地に研究所を開設するための募金活動に尽力。長女・彬子さまは日本トルコ文化協会の総裁として三笠宮さまの思いを受け継いでいる。秋篠宮ご夫妻はアナトリア考古学研究所では出土した骨などの仕分け作業を見学された。
滞在3日目は飛行機でイスタンブールへ。ヨーロッパ側にある旧市街はユネスコ世界文化遺産に登録されている。ご夫妻はアヤソフィアを訪れた。現在はイスラム教の寺院となっているため、紀子さまはストールで髪や肌を隠された。続いてオスマン帝国の歴代皇帝の居城だったトプカプ宮殿へ。イスタンブールの街が一望できるテラスに立たれた。平成21年に世界水フォーラムでトルコをご訪問された天皇陛下もこの場所からボスポラス海峡をご覧になっている。夜は日本トルコ外交関係樹立100周年記念式典が開かれ、秋篠宮さまがお言葉を述べられた。式典ではトルコの民族舞踊と和太鼓の共演も披露された。
滞在4日目は海事博物館を訪れた。世界最古の木造ガレー船や皇帝が使った船などが展示されている。ご夫妻は明治23年に和歌山県串本町沖で沈没した軍艦エルトゥールル号の模型やパネル展示をご覧になった。地元住民の救助で助かった69人をトルコまで送り届けたことがその後の両国の友好関係の礎となったといわれる。現地5日間というタイトなスケジュールの中、多くの人たちと交流され、日本とトルコの友好親善が深まることを願われた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年9月22日放送 2:20 - 2:50 フジテレビ
おかべろ(おかべろ)
10~30代までの平さんの写真を紹介しスタジオでは「変わっていない」などの声が上がった。平さんは「昔は私が夫に『年齢じゃないよ』と言っていたのに今では逆転してしまった」などと話した。また寛平さんはアースマラソンで本来走れないトルコのボスポラス海峡を走ったというが、平さんはトルコにいた際にほとんど家にいて知らなかったという。

2025年1月12日放送 18:00 - 18:30 TBS
世界遺産鈴木亮平が巡る トルコ千年の都
イスタンブール歴史地区はイスタンブールの中でもヨーロッパ側に位置する。鈴木亮平は上空から古都の輪郭を見る。アジアとヨーロッパの間にあるのがボスポラス海峡、狭いところで川幅は700mほど。歴史地区には象徴とする建物としてイスラム教のモスクのスルタン・アフメット・モスクとキリスト教の大聖堂のハギア・ソフィアが存在する。395年ローマ帝国は東西に分裂。その後西ロー[…続きを読む]

2024年12月27日放送 23:50 - 0:48 NHK総合
ABUソングフェスティバル(ABUソングフェスティバル inイスタンブール)
トルコ最大の都市で1600万人が住むイスタンブール。アジアとヨーロッパにまたがるため東洋と西洋の文化が融合している。またイスタンブールは音楽が盛ん。楽器屋の並ぶ通りやストリートミュージシャンも多い。トルコでは家族の影響を受けて音楽に関心を持ち、また国のどこいても異なる音楽を聴くことができるのだとか。イスタンブールには多種多様な音楽が溢れていた。

2024年12月6日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(ニュース)
国際親善のためトルコを公式訪問している秋篠宮ご夫妻は、世界遺産に登録されているイスタンブールの旧市街で、イスラム教のモスクやオスマン帝国時代の宮殿を視察された。イスラム教のモスク「アヤソフィア」、トプカプ宮殿、ボスポラス海峡を訪問された。長男の悠仁さまの誕生のお祝いとして、当時トルコ政府から日本に特別に貸し出されたもの「金のゆりかご」鑑賞された。

2024年11月28日放送 16:05 - 17:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン旬の番組 テイスティング
古来、交通の要衝であるその海は船の事故が多発する世界有数の難所だった。20世紀、橋が渡されたものの人口の急増で2時間待ちの大渋滞。ひっ迫した交通を救うために浮かび上がったのは150年間実現していない計画だった。この海峡に海底トンネルを作り、鉄道を通す。世界のゼネコンが尻込みする工事に挑んだのは“鋼鉄の男”と呼ばれた物静かな日本人だった。この日、海は荒れていた[…続きを読む]

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