TVでた蔵トップ>> キーワード

「マデイラ島」 のテレビ露出情報

世界の海を制したポルトガルは、遠い国で砂糖を探し、自分たちのお菓子を世界に広めた。そこには全く甘くない海洋国の世界戦略があった。砂糖を生産したポルトガルが世界各地で精力的に砂糖貿易を始める。すると、ポルトガルによる海のシュガーロードが作られていった。そのシュガーロードの終着点は日本。ポルトガルのお菓子はどのように日本に広まったのか。ポルトガルとの貿易の拠点だった長崎は、路面電車が走り坂道が多くポルトガルのリスボンとも似ている。織田信長に献上された金平糖のようにポルトガルから伝わったお菓子は日本で独自に発展していった。金平糖と一緒に織田信長に献上されたもう一つのお菓子がアルフェルト。ポルトガルのアルフェルトは少々不格好。千寿庵 長崎屋では有平糖というお菓子になっている。おめでたい席で欠かせない千代結びの作り方を拝見すると、溶かした砂糖の塩梅を確かめ、たらいに流し水で冷やす。出来上がった水飴の硬さを調節し、伸ばしながら空気を入れて白くしていく。長崎おくんちの庭見世でお祝いのお菓子として飾られるようなお菓子だという。高田里穂は有平糖を食べて、懐かしい甘さががあって幸せを口に含んでるみたいな、とコメントしていた。
これらの砂糖菓子は人の心を動かす大きな力があった。ポルトガル人からコンフェイトとアルフェルトを受け取った織田信長は、旨い!褒美を取らせよと話したという。ポルトガル人宣教師のルイス・フロイスは、日本でのキリスト教の布教が許され、さらにはポルトガル商人による日本との貿易が始まった。南蛮貿易の拠点だった長崎市出島は、約30年前から復元工事が行われ、今も継続中。貿易品の多くを占めていたのは、砂糖。出島復元整備室の山口美由紀さんは、三番蔵を紹介し、江戸時代に輸入していた砂糖を収納していた蔵だと紹介。日本で砂糖を荷下ろしした後で代わりに船に積んだものが、銅。砂糖蔵の向かいには出島に住む外国人の屋敷があった。大広間には宴会の様子が再現されている。パンはポルトガル語が語源。パォン・デ・ローはポルトガルのお菓子で、カステラの原型と考えられている。1681年創業の松翁軒には、炭火で焼くカステラの釜が残されている。一方、ポルトガルのパォン・デ・ローは修道院生まれ。スタジオでパォン・デ・ローを試食した黒柳徹子は、美味しい、カステラだと話していた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年6月22日放送 8:00 - 9:30 テレビ朝日
朝だ!生です旅サラダコレうまの旅
海外常春のマデイラ島へ。

2024年5月4日放送 13:30 - 14:30 日本テレビ
キントレ当たり前レストラン
La Paixは7年連続ミシュランガイド東京一つ星評価。牛肉に塩コショウ・パプリカパウダー・小麦粉をかける。エシャロット・ニンニク・マッシュルームを炒めマデラ酒・フォンドボー・牛肉を加える。最後にサワークリームを入れる。バターライスには香り付けにセロリの葉とローリエを入れて炊く。「この料理の名前は?」と出題。

© 2009-2024 WireAction, Inc. All Rights Reserved.