- 出演者
- 野々村真 草野仁 石井亮次 黒柳徹子 城田優 土田晃之 藤田ニコル
今夜の舞台はお菓子大国ポルトガル。信長も驚いた献上品のお菓子とは?日本の歴史も変えた!?絶品が続々登場!
オープニング映像。
丸ボーロの由来となったボーロ・レイには小さなプレゼントが入っている。切り分けた時にプレゼントが当たるかで来年の運を占うものだった。老舗菓子店を仕切るデヴィデさんは、クリスマス直前は1日1800個のボーロ・レイを焼くという。
貴重な砂糖が出回るようになったのは大航海時代からで、ヴァスコ・ダ・ガマたちが航路を新規開拓したためだった。ポルトガル人はインドでサトウキビと出会い、貿易で莫大な富を得た。ジェロニモス修道院にはヴァスコ・ダ・ガマの功績を称えて立てられ、海藻や天球儀などがモチーフとして描かれている。
ジェロニモス修道院で作られていた「パステル・デ・タナ」はエッグタルトの原型と言われている。卵が多く使われた理由は白身を僧侶の服の糊付けに使っていたためで、余った卵黄はお菓子に使われたと伝えられている。「パステラリア・アルコア」ではアルコバサ修道院で作られたお菓子を買うことができる。
修道院で作られていたというお菓子をスタジオで試食。京都にある「カステラ・ド・パウロ」のパテシェ、パウロ・ドゥアルテさんが用意してくれた。「パステル・デ・タナ」などを堪能した。
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クリスマスの食卓を拝見するためフランシスコさん一家を訪問。スイーツ専用のテーブルも用意され、お菓子作りは夫が担当する。「フィリョース」は日本ではがんもどきとして伝わっている。
Q.かつて飢饉のときに人々の命を救ったお菓子の材料にもなる作物とは?。藤田ニコルはさつまいも、城田優はとうもろこし、土田晃之はかぼちゃと解答。
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かつて飢饉のときに人々の命を救ったお菓子の材料にもなる作物とは?の正解は、栗。人気者の栗をもらおうと行列ができていた。栗は12世紀、じゃがいもが一般的になる前に王の命令でポルトガル各地に植えられ、乾燥させて保存食となった。藤田ニコルは3歳までニュージーランドで育ったといい、ああいうパーティーみたいな写真がたくさんあったと話していた。
世界の海を制したポルトガルは、遠い国で砂糖を探し、自分たちのお菓子を世界に広めた。そこには全く甘くない海洋国の世界戦略があった。砂糖を生産したポルトガルが世界各地で精力的に砂糖貿易を始める。すると、ポルトガルによる海のシュガーロードが作られていった。そのシュガーロードの終着点は日本。ポルトガルのお菓子はどのように日本に広まったのか。ポルトガルとの貿易の拠点だった長崎は、路面電車が走り坂道が多くポルトガルのリスボンとも似ている。織田信長に献上された金平糖のようにポルトガルから伝わったお菓子は日本で独自に発展していった。金平糖と一緒に織田信長に献上されたもう一つのお菓子がアルフェルト。ポルトガルのアルフェルトは少々不格好。千寿庵 長崎屋では有平糖というお菓子になっている。おめでたい席で欠かせない千代結びの作り方を拝見すると、溶かした砂糖の塩梅を確かめ、たらいに流し水で冷やす。出来上がった水飴の硬さを調節し、伸ばしながら空気を入れて白くしていく。長崎おくんちの庭見世でお祝いのお菓子として飾られるようなお菓子だという。高田里穂は有平糖を食べて、懐かしい甘さががあって幸せを口に含んでるみたいな、とコメントしていた。
これらの砂糖菓子は人の心を動かす大きな力があった。ポルトガル人からコンフェイトとアルフェルトを受け取った織田信長は、旨い!褒美を取らせよと話したという。ポルトガル人宣教師のルイス・フロイスは、日本でのキリスト教の布教が許され、さらにはポルトガル商人による日本との貿易が始まった。南蛮貿易の拠点だった長崎市出島は、約30年前から復元工事が行われ、今も継続中。貿易品の多くを占めていたのは、砂糖。出島復元整備室の山口美由紀さんは、三番蔵を紹介し、江戸時代に輸入していた砂糖を収納していた蔵だと紹介。日本で砂糖を荷下ろしした後で代わりに船に積んだものが、銅。砂糖蔵の向かいには出島に住む外国人の屋敷があった。大広間には宴会の様子が再現されている。パンはポルトガル語が語源。パォン・デ・ローはポルトガルのお菓子で、カステラの原型と考えられている。1681年創業の松翁軒には、炭火で焼くカステラの釜が残されている。一方、ポルトガルのパォン・デ・ローは修道院生まれ。スタジオでパォン・デ・ローを試食した黒柳徹子は、美味しい、カステラだと話していた。
長崎県平戸市の平戸おくんちは、神輿が来ることを知らせる毛槍が宙を舞う。平戸は長崎・出島に移転する以前、一世紀に渡って海外貿易の拠点だった。平戸城下にはかつて30軒以上のお菓子屋さんが並んでいたという。平戸 蔦屋には究極の南蛮菓子とも呼べるカスドースがある。カスドースは400年製法が守られてきた。蔦屋24代目の松尾俊行さんは、航海中に硬くなったパォン・デ・ローを柔らかくするために技術が伝わった、と説明していた。カスドースはカステラをたっぷりの卵黄で浸し、糖蜜で煮て、さらに砂糖をこれでもかとまぶす。食べることができたのは平戸のお殿様だけだったという。平戸藩がなぜお菓子を重要視し、発展に力を注いできたのか。平戸 オランダ商館にある万延元年菓子図鑑や、百菓之図という巻物もあった。これらのお菓子の多くは贈答用で、門外不出のものだった。菓子は外交や交渉の切り札で、ポルトガル人は、お菓子とともに人の心を動かす力も伝えた。
安土桃山時代、「黄金の国・ジャパン」を強く印象付けた日本からポルトガルへの輸出品とは?という問題が出された。ヒントは金の装飾が施されている。身分の高い人の家にいくと存在するもので、時代劇でもよく見かけるという。野々村真は屏風と回答。
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Q「黄金の国・ジャパン」を強く印象付けた日本からポルトガルへの輸出品とは?正解は、屏風。金箔を貼った屏風は道なる黄金の国を思わせると、ヨーロッパで大人気になった。長崎歴史文化博物館にある南蛮人来朝之図には、日本に来航したポルトガル船の様子や、宣教師が描かれている。野々村真が正解だった。
スイーツ好きの憧れ、チョコレートフォンデュ。ヴィアナ・ド・カステロにあるチョコレート工場ホテルは、実際のチョコレート工場の跡地に建てられた。お部屋もチョコレートをテーマになっている。「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」が昨日公開された。お菓子大国のポルトガルだが意外なことに近年になってチョコブームが起きている。夏にチョコレート祭りが開かれるオビドスでは、様々な催しが行われる。お祭り以外でもチョコレートが食べられるようにと去年専門店ができた。店長のカロリナ・アルメイダさんは、日本のアイドルが好きで日本語を勉強中。チョコレートの原料のカカオの原産地は、アメリカ大陸の熱帯地域で一節にはコロンブスがカカオに初めてであったヨーロッパ人だという。「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」の中にもウォンカが南の島にカカオを探しにいく場面がある。アヴェイロある、近年ポルトガルの大航海時代を思わせると人気のチョコレート工房がフェイトリア・デ・カカオで、菅知子さんとスザーナ・タヴァーレスがやっている。カカオから板チョコになるまで全工程ほぼ手作業。口コミで評判を呼び、現在世界13カ国へ輸出し、先日上海では3000枚がわずか15分で売り切れる。世界各地のカカオを味わうとチョコレートで世界旅行をしている気分。西アフリカのサントメ島は、ポルトガル人が最初にカカオのプランテーションを作った場所。サントメ島への何気ない旅行が二人がチョコレート作りを始めるきっかけとなった。世界有数のカカオの産地だったサントメは、1975年ポルトガルからの独立を機にカカオ農園は放棄され経済は崩壊した。スザーナ・タヴァーレスは、ポルトガル人として恥ずかしい気持ちだった、その思いは旅行から帰っても重くのしかかり、自分たちでチョコレートを作ってみようと考えた、などと明かしていた。
Q ”甘い(?)”というスイーツの材料でアジアでよく食べられている作物とは?という問題が出題された。正解のものをスタジオに用意した。このスイーツの材料は?
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