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「マレー半島」 のテレビ露出情報

2015年、オーストラリアにディック・ブレイスウェイトさんを訪ねる。終戦の2年後に誕生したディックさんは父親が戦争のトラウマに苦しむ姿を見てきた。ディックさんの父親は毎夜日本兵の首を締めようとするする夢にうなされていたという。取材ディレクターの大叔父もまた戦争を経験し、日本に戻ることができなかった。東南アジア・ボルネオ島。ディックさんの父や取材ディレクターの大叔父はここである悲劇に巻き込まれる。1945年、日本軍は拠点を移すも、食料などもなく無謀なもので、半数の日本兵が命を落とした。捕虜であったイギリス・オーストラリアの兵士も対象で、彼らはさらに過酷な運命をたどった。通称「サンダカン死の行進」と呼ばれるこの出来事で生き残ったの捕虜はたった6人、ディックさんの父親がその1人だった。サンダカン死の行進について語れる人がいなくなる中、当時を知る人物を訪ねる。その中で、遺族たちも傷を負った。生き残った日本兵もまた戦犯として戦後裁かれた。ディックさんと取材ディレクターとんのやりとりの中で「歴史を伝える者として真実を追い求めなければならない」という言葉をディックさんは述べた。そんな中、ディックさんは2016年位逝去。それまでの成果を手記として出版したディックさんだったが、その中で和解への願いを述べていた。
オーストラリア・リズモー。ディック・ブレイスウェイトさんの妻であるロビンさんが迎えてくれた。ロビンさんはhぢっくさんが手記の中で和解を求めたのは問題の核心に迫りたかったからだと語る。訪れたリズモーにはサンダカン死の行進の慰霊モニュメントが置かれている。町の教会には犠牲者を弔うモニュメントが置かれている。1942年1月、日本軍は石油資源を求めボルネオ島を占領、2月にはマレー半島を占領し豪英の兵士を捕虜とした。かつてサンダカン死の行進に参加したラッセルさんは何も知らされず現地に向かい、その環境が劣悪なものだったと話す。1944年にはボルネオ島の空爆が始まり、日本軍は拠点を移す。満州で30キロ兵士が歩いたという記録から、現地の視察などもなく決まったという。サンダカンの役所で働いていた高橋正子さん、衛生兵だった中嶋長續さんは当時の惨状を語る。この更新で8500人の日本兵と2428人の捕虜、さらに民間人500人が命を落とした。多くの犠牲者を出したオーストラリアだったが、亡くなった人たちの遺族に重荷になると公表しなかった。ディック・ブレイスウェイトさんは数多くの文献などを読み漁った。その中に旧日本軍にいた上野逸勝の手記に触れ、英語版を作ることとなった。オーストラリアでサンダカン死の行進について描かれた本は、怒りの視点からの描かれているが、上野さんの手記は人間は平等に扱われるべきという視点から描かれていた。ディック・ブレイスウェイトさんは著書に「FIGHTING MONSTERS」(怪物との戦い)と名付けた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年8月14日放送 11:55 - 13:55 日本テレビ
ヒルナンデス!スターが愛する行きつけグルメ
スターは、健康に気をつかっていて、明るくピースフルな性格だという。幼少期には、少年野球チームに入り、ポジションは3番ファーストだったという。スターイチオシのメニューは、比内地鶏の薬膳スープ。スターは、舞台などで稽古三昧だという。スープは、スペアリブの骨から煮出したボーンブロススープで、黒キクラゲなど漢方食材が入っている。秋田県産の比内地鶏は、蒸し器で3時間、[…続きを読む]

2024年8月3日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京
新美の巨人たち新美の巨人たち
かつてのときわ動物園ではシロテテナガザルは狭い檻の中に飼育されていた。動物園をリニューアルすることになった若生がまず行ったのはシロテテナガザルの生息地のマレー半島とスマトラ島の調査だった。調査の結果当初想定していた10mを超える倒木だけでなく中継木も配置。いきいきとした腕渡りを引き出した。さらにデザインにはシロテテナガザルの水を嫌う習性を利用して周囲を水濠に[…続きを読む]

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