追跡班は、日本統治時代に水曜島と呼ばれていたトール島に向かった。森小弁はこの島で自ら指揮を執りさまざまな事業を手掛けていた。当時、島には小さな水路が点在しているだけだったが、森小弁は日本の技術を持ち込んで長さ100mを超える運河を切り開いた。また、私財を投じて島の子供たちのための学校も造った。森小弁は日本から”ウンドウカイ”のイベントを持ち込んだ。周囲の島々からも人々が集まって、ウンドウカイには1万5000人が参加したという。今でもウンドウカイは同じ呼び名のまま受け継がれているという。
© 2009-2025 WireAction, Inc. All Rights Reserved.