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「ジョンソン大統領」 のテレビ露出情報

1963年11月、アメリカ大統領・ケネディは南部テキサス州ダラスで再選キャンペーンを開始。オープンカーで市内をパレード中に何者かに狙撃され非業の死を遂げた。ケネディ暗殺を巡り未公開だった記録が新たに公開されている。解説は高橋祐介解説委員。公開を命じたトランプ大統領は「画期的な成果」とアピールしている。1期目のトランプ政権は情報機関からの要請で機密指定を一部解除しなかった。2期目の今回はより強い姿勢で政府を統率する意思が伺える。問題はこれまでの見方を覆すような決定的な証拠が出てくるかどうか。事件の直後パレードの沿道にある教科書倉庫ビルの6階からライフル銃と薬きょうが見つかり、そこで働くリーハーベイオズワルドが逃走中に警察官を銃で殺害した疑いで逮捕された。しかしオズワルドはケネディ狙撃の犯行を否認したまま、事件の2日後警察署から移送の際「俺ははめられた」という謎の言葉を残し、みずからも銃で撃たれて死亡した。事件のあと昇格したジョンソン大統領は連邦最高裁長官をトップにウォーレン委員会を設置。翌年まとめられた報告書はオズワルドの単独犯行と結論づけた。今回、公開された記録から単独犯行説を覆す決定的な証拠は見つかっていないが、共犯者がいたのではという疑念が今も少なくない。「単独犯行と複数犯行のどちらを信じるか」、ケネディの暗殺からほぼ10年置きに尋ねてきたギャラップ社の世論調査だが、当初から一貫して複数犯行を信じる人の方が多く最近も65%に上る。複数犯行を信じる人に、具体的にどんな組織やグループの関与を疑っているかと尋ねたところ連邦政府が20%などとなっている。
ケネディ暗殺を巡り未公開だった記録が新たに公開されている。解説は高橋祐介解説委員。複数犯行を信じる人に、具体的にどんな組織やグループの関与を疑っているかと尋ねたところ連邦政府が20%(その他CIA、FBI)などとなっている。背景には米ソ冷戦時代の国際情勢とオズワルドの怪しい行動が関係している。海兵隊を辞めたオズワルドは1959年、ソビエトに旅行したまま亡命し現地で結婚した妻と2人の娘を連れてアメリカに戻った。キューバ革命を進めたカストロ政権の支援運動を始めたオズワルドをFBIは監視。事件の直前、1963年9月から10月にかけてオズワルドは隣国メキシコのキューバ大使館とソビエト大使館でビザを申請。それをCIAが電話盗聴、あるいは写真を隠し撮りしていた。つまりケネディ暗殺の前からCIA、FBI2つの組織がそれぞれオズワルドをマークしていた。事件後、厳しい批判にさらされたCIAとFBIは脅威を及ぼす危険人物とは思わなかったと釈明している。ただ当時のFBIのフーバー長官はケネディ兄弟と確執があった。またCIAは対キューバ政策の進め方を巡ってケネディと意見の対立があった。そんな大統領との微妙な関係が疑いの目を向けられる1つの要因になっている。
ケネディ暗殺を巡り未公開だった記録が新たに公開されている。解説は高橋祐介解説委員。CIAの創設当初から防諜部門のトップを務めたジェームズアングルトンが議会上院の情報特別委員会で1975年に証言。記録には、アングルトンの証言によると東西冷戦期、ソビエトからゴリツィンとノセンコ2人のKGB幹部がアメリカに亡命。ノセンコは、オズワルドがソビエトに亡命した際精神的に不安定で射撃も下手で相手にしなかったと語りKGBとは一切関係はなかったと断言したという。一方、ゴリツィンは海兵隊出身のオズワルドが亡命したらソビエトの対外秘密工作を担うKGB第13局が必ず接したはずだとして、オズワルドがKGBのスパイになった可能性は排除すべきではないという意見だったとアングルトンは証言している。CIAなどの情報機関は同じ政府内でも情報を隠したがる傾向があるのは確か。ケネディの側近がCIAの活動実態について記した覚書には、アメリカの在外公館で働く政治職員の47%は外交官を装った情報工作員海外で、働く職員は国務省が3900人、CIAが3700人。CIAの工作員は国務省職員にほぼ匹敵するなどと指摘されている。当時機密文書の隠された部分にはケネディ暗殺を巡る重要情報というよりも情報機関による活動の実態、あるいは情報源が含まれているケースが多いよう。機密ファイルを分析して、事件の真相解明を進める取り組みは始まったばかり。岩渕≫まだまだ読み進めていただいて。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年5月31日放送 12:15 - 12:40 NHK総合
探検ファクトリー(探検ファクトリー)
工場で水性ペンが誕生したのは1963年。1946年創業当初は筆や墨の卸問屋で孫呉画材などをメインに製造。14年後油性ペンを開発し当時流通していた太字のペン先を細字に改良した。1963年世界初の中綿式水性ペンを開発。
水性ペンの製造工程を探検。工場では8色の水性ペンを製造していて140万本のボディーをストックしている。ボディーは持ち手を握りやすい六角形に成型[…続きを読む]

2025年2月6日放送 23:50 - 0:35 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀バタフライエフェクト)
1900年頃、ベトナムはフランスの植民地であらゆる資源が搾取されて安い賃金で働かされていた。1919年に第一世界大戦の講和を話し合う会議で、ホー・チ・ミンは祖国の窮状を訴える文章を出したという。ホー・チ・ミンは祖国ベトナムの独立のために地下活動を続けた。1940年になると日本が進出し、ベトナムは日本とフランス双方から支配を受けることになる。そしてホー・チ・ミ[…続きを読む]

2024年12月29日放送 9:54 - 16:30 TBS
報道の日テレビ報道70年 8つの禁断ニュース
ベトナム反戦運動と同じころに起きた成田闘争。成田空港建設を巡って地元の農民らと新左翼が参加し激化した反対運動。取材していたTBSのスタッフが反対は農民と彼らが持ち込んだプラカードをロケ車両に乗せ移動したことが問題に。この頃、東京・飯田橋でプラカードで警官を殴った学生に初めて凶器準備集合罪が初めて適用。1968年3月27日、日本初のニュースキャスター降板。交番[…続きを読む]

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