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「ルイス・カムフォート・ティファニー」 のテレビ露出情報

明治33年に渡米した小川三知が目指したのはアメリカ。知り合いのアメリカ人の勧めでシカゴ美術院の日本が教師の職を得た。しかし、東洋からやってきた無名の画家にシカゴは厳しい街だった。なんとか糊口をしのいだのは絵本の挿絵の仕事。そんな折、美術院の学用から運命的な言葉を言われたがそれはステンドグラスを学びなさいという一言だった。アメリカでは当時ジョン・ラファージやルイス・カムフォート・ティファニーらによってそれまでの単色ガラスにはないオパールセントグラスが開発されていた。従来、ヨーロッパの模倣から脱却する時代の転換期だった。三知はアメリカ中を巡り十数社のガラス工房でひたすら修行を積んだ。空や食わずの異国の空の下で11年もの歳月をかけステンドグラスに没頭した。明治44年に帰国した三知は、東京・田端に工房を開設した。最初の仕事は創立50周年記念となる慶應義塾大学の図書館を飾るステンドグラス。西洋文明のシンボルである女神と向き合うのは馬を降りた日本の武士。その下にはラテン語で「ペンは剣よりも強し」という言葉。完成まで4年をかけた力作となった。三知が極めたの技法についてはヨーロッパから伝わったケイムというH型の鉛を使用した技法で、そのケイムをガラスの大きさや形にあわせてカットし、両側からガラスをはめ込む。接合部をはんだ付けする。アメリカで誕生したのは鉛ではなくロウを使ったティファニー式という技法。カッパーフォイルという銅箔でガラスを縁取りパーツ同士のはんだ付けを行う。
四季花木障子のステンドグラスには、咲き誇るあじさいがティファニー式ならではの造形で花びら一枚一枚の繊細な違を丹念に。宮越家の小川三知の作品があるのは大正9年に詩夢庵は宮越家の9代目当主正治が妻の誕生祝に建てた。芸術を好んだ正治は、数々の美術品を収集し、詩夢庵は特別なものにしたいと考えていた。東京の三知の人気を知ってステンドグラスの依頼をしたという。三知は雪国らしい色彩やデザインを提案した。その窓は観る人の心に委ねられている。見積書には四季花木図ステンドグラスの代金が440園とあるが今の価格で176万円。三知は四季花木障子が完成した際の荷解き注意のことも手紙で事細かにかいている。ステングラスは壊れやすく繊細なものとしている。さらに宮越家にはもう一つの三知作品が。

他にもこんな番組で紹介されています…

2023年11月5日放送 12:54 - 14:00 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団(開運!なんでも鑑定団)
ルイス.C.ティファニーはガラスに生涯を捧げ、モザイクガラスで表現した風景画も製作。父親はティファニーの創業者である。22歳の時、イスラム建築に用いられるモザイクガラスに魅了され、後にホワイトハウスの内装を手掛けるまでになった。ガラスへの熱心な興味は周囲が呆れるほどで、高度で画期的な技法を確立。作品の造形にも力を注ぎ、1902年にティファニースタジオを設立す[…続きを読む]

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