きょう、夜明け前の能登地方は雪だった。珠洲市を訪れた輪島市の男性は「ちょっとこんな天気なのだけど、ワンチャン、初日の出見れないかなと思って」と北目的を話していた。次第に雪はやみ、元日の能登は明るく照らされた。七尾市の男性は「長いけど、でも短かった」と2年間を振り返っていた。身内が被災したという女性は「身近に被害を受けた者がいるのと、受けない人とでは同じ石川の中でも違う」と話していた。いまだ建物が壊れたままの輪島市の神社では仮設のさい銭箱を用意し、住民たちを迎えた。輪島を離れ、金沢で避難生活を送っている女性は「まだちょっとの音も怖いけど、やっぱり、輪島に帰ってきたいので、こうやって戻ってきてる」と話していた。
2年前、能登半島を襲った最大震度7の揺れは698人の命を奪った。妻と娘を亡くした男性は「やっぱり時は止まったままだ。全然2年たとうが、受け入れられてない現状がある。1月1日っていうのは、本当はめでたいじゃない。ただね、おめでとうっていうことばは本当に使いたくない」と複雑な気持ちを明かしていた。また妻と3人の子どもを亡くした男性は「気温とか天候は当時とやっぱりすごい似通ってて、苦しかった気持ちとか思い出されたっていうのが強く感じた。帰ってきたよっていうところと、またことし一年も頑張っていくからねっていうところは伝えた」と話していた。震災で家族ら10人を失った男性は「夢に出るようになった。1年目は全然出なかったんだけど、2年目になったら出るようになった。もうそろそろいいよって言ってるのかもしれない。そこまで1人で抱え込まなくてもいいよみたいな感じで言ってるのかなって思うし、だから、先に進んでいこうかなって、ことしは。」と話していた。取材中、晴れ間が見えると男性は「お父さん来たよ。ねぇお前ら、空で見てるのか。」と涙をぬぐいながら語りかけていた。
2年がたっても、仮設などでの生活を余儀なくされている人は1万8000人以上に上る。住人の男性は「どんな1年って、難しい。まだまだ仮設何々、応急何々。本復旧っていうのは現実に見えてない」と話していた。一方で仮設住宅でのお正月を笑顔で迎えた人たちもいる。「正月やり続けて、地域盛り上がったらいいなと思って」と話していた。支え合い、乗り越えてきた2年が過ぎ3年目、どうやって過ごしたいか聞かれ「3年目は自分のうちへ帰りたい」と話していた。能登町ではそれぞれの思いや願いを込めてともされたキャンドル。午後4時10分に能登の各地で黙祷が捧げられ、3年目が始まった。
2年前、能登半島を襲った最大震度7の揺れは698人の命を奪った。妻と娘を亡くした男性は「やっぱり時は止まったままだ。全然2年たとうが、受け入れられてない現状がある。1月1日っていうのは、本当はめでたいじゃない。ただね、おめでとうっていうことばは本当に使いたくない」と複雑な気持ちを明かしていた。また妻と3人の子どもを亡くした男性は「気温とか天候は当時とやっぱりすごい似通ってて、苦しかった気持ちとか思い出されたっていうのが強く感じた。帰ってきたよっていうところと、またことし一年も頑張っていくからねっていうところは伝えた」と話していた。震災で家族ら10人を失った男性は「夢に出るようになった。1年目は全然出なかったんだけど、2年目になったら出るようになった。もうそろそろいいよって言ってるのかもしれない。そこまで1人で抱え込まなくてもいいよみたいな感じで言ってるのかなって思うし、だから、先に進んでいこうかなって、ことしは。」と話していた。取材中、晴れ間が見えると男性は「お父さん来たよ。ねぇお前ら、空で見てるのか。」と涙をぬぐいながら語りかけていた。
2年がたっても、仮設などでの生活を余儀なくされている人は1万8000人以上に上る。住人の男性は「どんな1年って、難しい。まだまだ仮設何々、応急何々。本復旧っていうのは現実に見えてない」と話していた。一方で仮設住宅でのお正月を笑顔で迎えた人たちもいる。「正月やり続けて、地域盛り上がったらいいなと思って」と話していた。支え合い、乗り越えてきた2年が過ぎ3年目、どうやって過ごしたいか聞かれ「3年目は自分のうちへ帰りたい」と話していた。能登町ではそれぞれの思いや願いを込めてともされたキャンドル。午後4時10分に能登の各地で黙祷が捧げられ、3年目が始まった。
