- 出演者
- 鈴江奈々 森圭介 山崎誠
オープニング映像。
元日の能登を明るく照らした初日の出。最大震度7の揺れが襲ったおととしの元日。日常は失われ、698人の命が奪われた。妻と娘を亡くしたという男性は「やっぱり時は止まったまま、まだ全然2年たとうが、受け入れられてない現状がある」。同じく妻と子供3人を亡くした男性は「帰ってきたよっていうところと、またことし1年も頑張っていくからというところは伝えた」家族10人を失った男性は「元日ってあけましては言えるけど、おめでとうって言うのはできないかな」と話していた。いまだ1万8000人以上が仮設などでの生活を余儀なくされており「まだまだ仮設、応急。本復旧っていうのは、現実に見えない」「母がちょっと避難しているが、このような大きな災害が起きると、誰も思ってなかったと思うですけども、どういうふうにして復旧復興していくかっていうのが大事かなと思ってる。きょう、そしてあしたと一日一日、頑張っていくしかないかなと思っている」と話していた。地震から2年経った能登の現実を伝える。
石川・七尾市の和倉温泉から中継。能登観光の玄関口として訪れた人たちをもてなしてきた和倉温泉は最大震度6強の地震で大きな被害を受け、一時、すべての旅館が休業を余儀なくされた。地震から2年経ち、再開する旅館が少しずつ増えてきたが、宿泊できる客室は、和倉温泉全体で3割ほどにとどまっている。藤井貴彦は輪島市の朝市通りから中継。2年前の地震で、朝市周辺は火に包まれた。この場所は火の手からは逃れたものの今も足元には地震の影響で剥がれた石畳が積まれたままになっている。また、地震の被害を受けたものの、建設作業員の皆さんの人手が回らず、雨や風で崩れないようにブルーシートがかかった建物もあるという。
震災以降、人口の減少が加速する能登で、能登の魅力を広めたいと珠洲市に移住した大学生を取材した。石川県珠洲市の仮設住宅の集会所でLINEの使い方を学ぶスマホ教室が行われていた。教えているのは22歳の北村優斗さん。能登地震以降に珠洲市に移住し、時間を見つけては地域のおばあちゃんたちと交流を重ねている。鈴江キャスターが北村さんと高齢者の人々が日課になっているお茶会に参加させてもらうことにした。いつもどんな話をしているのか聞くと「たいてい人のうわさ話か、畑の話か、病院の話か、大体その3つ」と答えた。長野県出身の北村さんはもともと大分県の大学に通っていたが、珠洲市への移住を決め、どこでも学べる通信制の大学に転学、移住してまだ10か月ほどだという。きっかけは、震災直後のボランティアだった。北村さんあh「自分たちが炊き出しでおにぎりとかみそ汁とか出してるのに、それ以上の量の差し入れみたいなのを地元のお母さん方が大量に作って持ってきてくれて、そういう温かさに触れてるうちに、なんかこう能登の魅力にどんどんどんどんはまっていった」と話していた。移住してまず始めたのが、地元の人たちと仲よくなること。豆腐店の移動販売を手伝いながら、時間を見つけては仮設住宅を訪問している。北村さんは「まず自分が動けるうちに手伝わせてもらって、一緒においしいもの食べて、一緒にお酒飲んで、仲よくなっていく。親しみを込めたあだ名で呼ぶことで、だんだんと心の距離も縮まっていった。
石川県珠洲市に移住した、大学生の北村優斗さん22歳。編み物、漬物、木の伐採など、能登のおじいちゃん、おばあちゃんたちと交流を深める中で、達人の技を知ってほしいと会社を立ち上げた。起業の背景の一つには、移住して肌で感じた能登の現状がある。北村さんは「そもそも人口が10年分、20年分ぐらいの人口が一気に1年で流出してしまったりとか、本当に日本の今、いろんな地域が衰退している中で10年、20年先の未来がここにある」と話していた。実際、珠洲市や輪島市など被害の大きかった能登6市町の人口が、震災から1年10か月の時点で1万人以上減少している。中谷内正子さんも、人が減っていく現状を肌で感じていた。中谷内さんの家族も地震があってから金沢へ引っ越してしまい、なかなか帰ってこない。さらに、震災前に暮らしていた集落も、多くの世帯が移住してしまったという。能登が直面する人口減少問題、その中で北村さんが見つけたのは、お年寄りとの協力という道だった。準備も着々と進んでいる。その1つが「バーバーイーツ」という自家製の漬物や天ぷらなど、ばあちゃんの味を能登を訪れた人たちに提供する取り組みだ。北村さんも大好物だという達人の漬物は、今まさに仕込み中。目指すのは、おじいちゃんもおばあちゃんも若者も、誰もが笑顔になれる能登の未来だ。北村さんは「人が生きるための活力って、わくわくするなとか、人と会えるのがいいなとか、食べるの楽しみだなとかが積み重なっていって、続いていくものだと思っているので、能登に暮らしていく人が、みんなそれぞれのわくわくを見つけられるような場所であってほしい」と話していた。みんなの孫が始めたチャレンジは、まだ始まったばかりだ。
北村優斗さんの能登での活動について藤井貴彦は「みんなのお孫さんという立ち位置ではあったけれども、移住をするということは、本当に決断、勇気のいることだったと思う。でもそこに温かさがあるから移住を決断できたし、そこで役に立ちたいと思っている表情が、よく画面からも映し出されていた。」よコメント。取材した鈴江キャスターは「お茶会の場では、皆さん、優斗さんを囲んで、被災の現実を忘れて笑顔になれると話していた。でも震災から2年、今の状況を伺うと、これから先のことを考えると不安だと、一様に顔を曇らせていた。そんな中で優斗さんは、お互いに得意なことを交換し合うことを大切にされていた。一方的にもらう、与えるではなく、交換だからこそお互いの生きがいややりがいにつながる。こうした前向きな輪を広げていくことが、復興を後押しすると感じた。」と感想を語った。
和倉温泉で最も歴史がある旅館「ゆけむりの宿 美湾荘」から中継。地震で建物が損壊し休業が続いていたが、およそ2か月前に営業を再開した。かつては8階建ての建物があったが、3棟並んで建っていた建物のうち、被害の一番大きかった中央の1棟が解体されてさら地が広がっている。また地震によって、およそ3.5キロの護岸に倒壊などの被害が出た。現在、工事が進められており、美湾荘前の護岸は8日前に完成したばかりだという。この護岸再建のために海の上に作られた仮設道路は岩などが積み上げられて、その上に鉄板が敷かれている。護岸のすぐそばに旅館が建っているために、陸から護岸工事を行うと、旅館の解体や再建工事が止まってしまうため、海の上に仮設道路を作ることで海側から旅館側の護岸工事、そして陸側から旅館の再建工事と同時並行で進められるようになった。美湾荘では来年10月に完全な形での営業再開を目指している。藤井貴彦は「窓から眺める七尾湾はね、すばらしく絶景。ただ、建物の中のエレベーターには工事関係者向けへの張り紙がしてあったり、動線がやっぱりまだ今までの美湾荘じゃないところがたくさん残っている。ただ、おかみさんのホスピタリティーは震災前も震災あとも全然変わらないし、大変だよって言いながらも、笑顔でいるという、あれがやっぱり宿泊客にとっては安心ですし、おもてなしにつながっている。いつか高校生たちがまたサッカーの大会を開けるようになって、七尾湾をみんなで見ながら食事ができるような、そんな日が来るのが待ち遠しい」とコメントした。またおかみさんは「和倉のおもてなしは長年培ってきた精神、チームワークが作り上げてきたものだからこそ、全面再開までは、雇用を守りたい」と話していたという。ただ12月で国の助成金が切れて、人件費が毎月2000万円近く支払っていかないといけない状況。地元の観光協会によると、美湾荘をはじめとした和倉温泉すべての旅館の営業再開は2028年3月を目標としているという。
石川・七尾市で温泉の神を祀っているという少比古那神社から中継。地元の皆さんはもちろんのこと、観光客の皆さんも初詣に来ており、中にはオランダから訪れたという人もいたという。このあと16時から「和倉を通して能登全体の復興を祈願」する集いが行われる。実は地震のときに鳥居が崩れてしまったということで、2か月前に再建された。神社の外では2年前の震災のときに避難所で行われた炊き出し鍋を再現して振る舞っている。
日本テレビと系列局は今年「いのちを守るプロジェクト あす大災害、だとしたら?」を展開。一人一人に本当に備えてほしいという観点から命を守るための情報を届けていく。今回は能登半島地震で被災した皆さんに話を聞いた。輪島市で被災した女性は「あってよかったものは私はお水と石油ストーブ。あとカセットコンロもあったんで、温かいものをちょっと食べれたりしたんで、よかったかな。まさかこんなことになると思わんかったから、すごいいろいろ役に立った」と話していた。また美湾荘の若女将、多田直未さんは「震災っていうのは、防火設備が全然機能しない場合があるっていうことを考えると、やはり真っ先に火を止めるっていう、火災が起こらないようにするっていうのが、もう本当に大事なところかなというふうに感じている。」と話していた。能登の人たちが口をそろえるのは、備えの大切さだ。「現金とか預金通帳とかそういうものをやっぱりまとめておいて横でもね、下でもいいから置いておけば助かる」「簡易トイレっていうのはあると、すごくよかったかなと思う」といった声が聞かれた。さらに心の支えになったのは、家族とのつながりだ。そして、今できることについて聞くと「何をどうすればいいか、これをあらかじめ話し合っておくことで、何もできない、うやむや、こころの寂しい時間は少なくなるのかなと思ってる」と答えていた。
かつて輪島朝市で活気に包まれた場所は2年前、火の海に包まれた。今では草が生い茂った更地が辺り一帯に広がっている。平安時代から続くとされる日本三大朝市の1つが「輪島朝市」で能登を代表する伝統工芸品の輪島塗や魚の干物、そして野菜の漬物などが並んでいて、観光客の方のみならず輪島市民の皆さんも生活の台所として愛していた場所だった。近くには輪島港があるという立地なので、地元で取れた新鮮な海の幸も名産品の一つだった。いまは残された道路だけがその名残を感じさせている。震災時には、道の両側にあった建物が通りのほうに崩れてしまったことで、消防車が入れず火が広がってしまったといわれ、電柱もスピーカーのような黄色い機械が熱で溶けてしまっている。ここに住んでいた人たちは震災後、生活拠点を金沢市に移した人や、輪島市に残りながら、出張朝市という形で活動を続けている人もいる。しかし共通して聞こえてくるのが「この場所でやっていた輪島朝市に戻りたい」という思いだったという。能登では去年のうちに公費解体がほぼ終了したが、復興の象徴として最初に解体が進められたのが、この朝市のエリアだった。更地になった当初は「がれきが残っていたときよりもさみしさを強く感じるようになった」という声も多く聞かれたが、2年経ったことで少しずつ現実を受け入れながら前に進もうという思いも生まれたという声も多く聞かれ、朝市が復帰したときにどうするかといった前向きかつ具体的な話し合いも行われるようになっている。先月から区画整理事業が始まって、ことしの春からここで建物が着工される予定となっている。計画未定の地域もある中、能登のシンボルである朝市の工事が始まることで、能登の活気が戻ると多くの人が期待しているという。
羽田空港から1時間という近さにある石川県輪島市の「のと里山空港」に震災から10か月後にオープンした、仮設の飲食店街「NOTOMORI」。6店舗が出店しているが、その多くは、被災して店舗を失った飲食店。仮設の店舗で料理を提供している。能登伝統の調味料、いしるを使った料理など、地元の味が楽しめる。ほかにも新鮮な海の幸を使った海鮮丼や、名物のかい鍋なども食べられるこの施設。料理を目当てに訪れるのは、復興のためにやってきた応援職員やボランティア。ここは店舗を失った店が、訪れた人に元気を届ける復興拠点となっていた。震災直後から、月に1度は能登半島に取材に訪れている藤井貴彦はオープン直後にも「NOTOMORI」を取材していた。店主は「やっぱり自分たちのお店が営業できるってなって、本当にとてもうれしかった」と話す人もいるが、まだまだ課題も多く「今を一生懸命、一日一日生きるっていう感じでしかまだ考えられない状況で、たくさんの方に来ていただいて道筋が見えればいいなとは思っている」と話していた。
「もっと多くの人に能登に足を運んでほしい。」という思いを形にし始めている人がいる。輪島の伝統工芸品、輪島塗を販売する田谷漆器店の代表、田谷昂大さんは震災直後から藤井貴彦が取材をしてきた1人でもある。震災で輪島塗の在庫を保管していた事務所や作業場は全壊。輪島朝市のそばにオープンする予定だったギャラリーも、大規模火災で全焼した。それでも、震災直後から「輪島塗の復興の夢を見て、前に進んでいきたい」とそう夢を語ったこの場所には、一から建て直すのではなく、トレーラーなどを活用することで、早期の活動再開を果たした。「輪島塗は能登半島に人を呼び込んでくる観光のコンテンツの1つだっていう思いが非常に強くなった」と話す田谷さん。トレーラーの中にはショールームのようにつややかに輝く輪島塗が展示されたギャラリーとなっている。また作業場で職人技を間近で見学することができる。繊細な作業をトレーラーハウスやコンテナの中で今、行っている。職人たちは「広ければうれしいだが、作業できるだけでありがたい」と話していた。田谷さんは「僕の仕事は作ることではなくてお届けすることだが、本当に作り手がいないと、お届けすらできないんで」と話す。田谷さんが夢に描いた輪島塗を中心に人が集まる場所に訪れる人は増えていて、中には外国人の姿も見られる。震災から3年目となることし。田谷さんは「輪島塗を買いに、たくさんの人に来てもらえるような未来を作りたい」と熱意を語った。また、もう一回、ギャラリーを建てようと思ってたところに、店舗を出す予定はあるかと聞かれ「朝市が復活する際には、そこに僕らも輪島塗のギャラリーを建てていきたい。一度燃えてしまったからこそ、幻にならないように、しっかりと復活したい」と話していた。輪島の人たちは、朝市が復活することを信じている。能登の人が望む復興、そしてさらにその先の発展に向かうために、力を注ぐ1年が始まった。
地震発生時刻の午後4時10分を迎え、輪島朝市、七尾市の少比古那神社、能登町や、地震豪雨の追悼式の会場など、能登半島の各地で犠牲者に対する黙祷が捧げられた。
きょう、夜明け前の能登地方は雪だった。珠洲市を訪れた輪島市の男性は「ちょっとこんな天気なのだけど、ワンチャン、初日の出見れないかなと思って」と北目的を話していた。次第に雪はやみ、元日の能登は明るく照らされた。七尾市の男性は「長いけど、でも短かった」と2年間を振り返っていた。身内が被災したという女性は「身近に被害を受けた者がいるのと、受けない人とでは同じ石川の中でも違う」と話していた。いまだ建物が壊れたままの輪島市の神社では仮設のさい銭箱を用意し、住民たちを迎えた。輪島を離れ、金沢で避難生活を送っている女性は「まだちょっとの音も怖いけど、やっぱり、輪島に帰ってきたいので、こうやって戻ってきてる」と話していた。
2年前、能登半島を襲った最大震度7の揺れは698人の命を奪った。妻と娘を亡くした男性は「やっぱり時は止まったままだ。全然2年たとうが、受け入れられてない現状がある。1月1日っていうのは、本当はめでたいじゃない。ただね、おめでとうっていうことばは本当に使いたくない」と複雑な気持ちを明かしていた。また妻と3人の子どもを亡くした男性は「気温とか天候は当時とやっぱりすごい似通ってて、苦しかった気持ちとか思い出されたっていうのが強く感じた。帰ってきたよっていうところと、またことし一年も頑張っていくからねっていうところは伝えた」と話していた。震災で家族ら10人を失った男性は「夢に出るようになった。1年目は全然出なかったんだけど、2年目になったら出るようになった。もうそろそろいいよって言ってるのかもしれない。そこまで1人で抱え込まなくてもいいよみたいな感じで言ってるのかなって思うし、だから、先に進んでいこうかなって、ことしは。」と話していた。取材中、晴れ間が見えると男性は「お父さん来たよ。ねぇお前ら、空で見てるのか。」と涙をぬぐいながら語りかけていた。
2年がたっても、仮設などでの生活を余儀なくされている人は1万8000人以上に上る。住人の男性は「どんな1年って、難しい。まだまだ仮設何々、応急何々。本復旧っていうのは現実に見えてない」と話していた。一方で仮設住宅でのお正月を笑顔で迎えた人たちもいる。「正月やり続けて、地域盛り上がったらいいなと思って」と話していた。支え合い、乗り越えてきた2年が過ぎ3年目、どうやって過ごしたいか聞かれ「3年目は自分のうちへ帰りたい」と話していた。能登町ではそれぞれの思いや願いを込めてともされたキャンドル。午後4時10分に能登の各地で黙祷が捧げられ、3年目が始まった。
俳優の長澤まさみさんが元日のきょう、映画監督の福永壮志さんと結婚したことを発表した。長澤さんは所属事務所を通じて「応援してくださっている皆様へ、私事で大変恐縮だが、このたび、映画監督の福永壮志さんと入籍しましたことをご報告させていただく」と発表した。また「お互い支え合いながら、日々の生活を大切に、これからの人生を一歩一歩丁寧に歩んでいこうと思っている。まだまだ未熟な2人だが、これからも温かく見守っていただけたら幸い」として直筆の署名とともに報告している。お相手の福永壮志さんは、北海道出身の映画監督で、海外ドラマ「SHOGUN」で監督を務めるなど、世界で活躍している。
昨夜、茨城県水戸市のアパートで、女性が首から血を流して倒れているのが発見され、その後、死亡が確認された。死亡したのはこの部屋に住むネイリストの31歳の女性で、帰宅した夫が首に刺し傷のある女性を発見したということだ。警察は、事件に巻き込まれた可能性が高いと見て、女性の死因などを詳しく調べている。
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きょうは北日本や北陸を中心に雪が続いていたが、あすは西日本でも広く雪となりそう。積雪や凍結による車のスリップ事故や、交通機関の乱れなどに注意が必要。また、あす午後は、太平洋側でも広く雪が降り、東京23区でもうっすら雪が積もるおそれがある。すでに大雪による交通への影響が出ている所もあり、あさって3日にかけて警戒が必要だ。
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東京スカイツリーからの映像を背景に全国の気象情報を伝えた。
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2025年2月11日(15:50)
