たい平さんの父はテーラーを営んでいたため、夕食が家族だけで食卓を囲むということがなく、必ずお客さんを招いていた。兄弟には役割があり、注文をもらうまで帰らせないように靴を隠すのがたい平さんの仕事だった。両親は縁談の世話などもしていて、30組近くの仲人をした。3年前に母が亡くなった後、その翌月に師匠・林家こん平さんが亡くなった。こん平さんからは、人と比べて焦るなと指導を受け、焦らなければいつか咲く時期が来ると言われ続けた。たい平さんがこん平さんについて回っていた頃、こん平さんは毎日飲み歩いていたという。こん平さんが病気になった時、弟子のたい平さんが自分の代わりにテレビに出演している姿が5年くらい受け入れられなかったという。三遊亭円楽さんは師匠・こん平さんが倒れてからの育ての師匠で、色々なことを教わった。円楽さんはみんなとわいわいガヤガヤする場所にいるのが好きだった。