豊臣秀長、秀吉の死後に起きた関ヶ原の戦いで、藤堂高虎は徳川方についた。恩賞で貰った領地に今治城を築いた。西日本には豊臣恩顧の大名が健在で、警戒を続ける必要があったという。砂地は本来、築城には適さないが、藤堂高虎はしっかりとした土台を築き、高さ13mの石垣を積み上げることができたという。天守は層塔型で、分解と組み立てが簡単。また、高虎は上野城の大改修を命じられた。石垣は高さ30mに達し、完成した当時、日本一の高さを誇った。野面積みとは違った技法が採用されていて、短時間で石垣を積むことが可能だったという。