地震後すぐに高台に避難しようとした正紀さん。自宅があるのは新潟市西区の海から200m程の場所で高台までは約2km離れている。地震があった1月1日は家族4人と親戚7人で過ごしていた。わずかな時間で津波が来ることを知っていたため、妻・希美子さんは母と妹、2人の子ども車に乗せて高台へ避難。正紀さんは津波に対する危機感がない東京から来た親戚を説得してあとから避難。高台への坂道では多くの住民が車で避難したため渋滞が発生していた。
多くの課題を残した津波からの避難。上越市の健次さんは病気のため生活する上で酸素ボンベが必要で、重いボンベを持ちながら歩いて避難することはできない。この地域では東日本大震災のあと、自主的に防災組織を立ち上げ、毎年津波を想定した避難訓練を行ってきた。しかし、実際に津波がやってくると訓練のようには行かなかったという。町内でアンケートを実施すると車で避難した人は7割以上の一方、約2割は避難しておらず、その多くが高齢者だった。
多くの課題を残した津波からの避難。上越市の健次さんは病気のため生活する上で酸素ボンベが必要で、重いボンベを持ちながら歩いて避難することはできない。この地域では東日本大震災のあと、自主的に防災組織を立ち上げ、毎年津波を想定した避難訓練を行ってきた。しかし、実際に津波がやってくると訓練のようには行かなかったという。町内でアンケートを実施すると車で避難した人は7割以上の一方、約2割は避難しておらず、その多くが高齢者だった。