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「上野(東京)」 のテレビ露出情報

2023年2月、シャンシャンが日本から中国へ旅立った。シャンシャンは2017年、東京・上野で生まれた。2023年2月21日、シャンシャンを乗せた飛行機が成都双流空港に到着した。シャンシャン専用のトラックが迎えに来てパンダの故郷へと運んだ。シャンシャンの新しい住まいは中国ジャイアントパンダ保護研究センター。深い森の中に東京ドーム15個分の敷地があり60頭のパンだが暮らしている。シャンシャンもたくさんのパンダの中から、パートナーを探し子どもを産み育てることを目的の1つとして、このセンターに戻された。今回は飼育員のランランさんにカメラを預けて、撮影してもらった。シャンシャンは全ての音に敏感で、鳥の音にも怯えるという。海外から来たパンダは新しい環境になれるためはじめの1ヶ月は専用の隔離施設で過ごす。環境になれ体のチェックも終わったところで、他のパンダと同じ一般公開エリアに引っ越しをする。専用の広い庭でゆっくり過ごす予定だったが、初めて観る広い土地にパニック状態になり、小屋から出れなくなってしまった。
2017年、6月シャンシャンはシンシンに抱き抱えられながら産声をあげた。生まれてきたパンダが順調に育ったのは上野では30年ぶりだった。シャンシャンの好物はリンゴ。無邪気だが性格はとても繊細。2023年5月、シャンシャンはまだ隔離施設にいた。まだ怯えて外に出れないという。ランランさんは休むことなくシャンシャンに寄り添い面倒をみていた。ランランさんがシャンシャンに教えた言葉は「食べて」「大丈夫よ」「私しかいないよ」の3つだった。6月、シャンシャンはまだ隔離施設にいた。ランランさんは外に出してあげたいと、新鮮な竹などを使い、ケーキを作って、建物の出口に置いた。ケーキを見つけやっとシャンシャンは施設から出てきた。ケーキをスルーしゆっくり辺りを観察、やっと落ち着いて竹を食べてくれた。
シャンシャンの誕生日、上野の百貨店では誕生日お祝いやパンダの写真展が開催された。7月、シャンシャンはまだ隔離施設で過ごしていた。日中は庭で過ごし、ランランさんが呼びかけたときだけ降りてくるようになった。体重は来た時より10kgほど増えたていた。8月、シャンシャンの引っ越しが行われた。新しい家では、最初、興奮していたがしばらくすると落ち着き、外に出ていった。いろいろとあったが今は、パンダの故郷でたくましく暮している。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年7月3日放送 5:50 - 9:00 日本テレビ
ZIP!ZIP!NEWS 7
新紙幣発行当日の午前0時、新1万円札の顔となる渋沢栄一の生まれ故郷・埼玉・深谷市内の渋沢栄一記念館では、カウントダウンイベントが行われた。新紙幣発行に向けきのう各地では盛り上がりをみせていた。20年ぶりにデザインが変更される新紙幣。千円札は細菌学者・北里柴三郎、五千円札は教育家・津田梅子、一万円札は実業家・渋沢栄一がそれぞれ新しい顔に。都内にあるとある工場は[…続きを読む]

2024年7月2日放送 23:59 - 0:54 日本テレビ
人のスマホをのぞきたい人のスマホをのぞきたい
上野や六本木や新宿や渋谷で街頭インタビューし、スマホを見せてもらった。ボディビル大会で日本一になった女性にインタビュー。正源寺の住職にインタビュー。Jagatは、位置情報を共有するアプリ。ドラマ「だが、情熱はある」で、ケイダッシュの社長を演じた男性にインタビュー。

2024年7月2日放送 11:30 - 11:50 フジテレビ
FNN Live News days(ニュース)
ことし3月、東京・上野で金の買い取り店から出てきた男性が現金190万円が入ったバッグを奪われた事件で、新たに指示役の男らが逮捕された。実行役の男らに指示し、男性3人に催涙スプレーをかけるなどの暴行を加え、現金190万円が入ったバッグを奪い、けがをさせた疑いなどが持たれている。男性らは持っていた5000万円相当の金塊は奪われなかったが、知人である容疑者に金の売[…続きを読む]

2024年7月1日放送 0:55 - 1:25 テレビ朝日
有吉クイズ(オープニング)
有吉弘行のプライベートに密着してクイズを出題したこれまでの番組の歴史を振り返った。2020年1月の初回放送は渋谷でOゾーンの脱毛、4月の第2回は上野で脂肪腫の摘出手術、8月の第3回はSMショップでグッズを購入してレスリー・キーに撮影してもらった。その後、レスリーとのフォトセッションは恒例となり、番組グッズのカレンダーは年末の風物詩となった。2024年カレンダ[…続きを読む]

2024年6月29日放送 13:50 - 14:50 NHK総合
土曜スタジオパーク(虎に翼)
平埜さん演じる汐見圭は多岐川と苦楽を共にしてきた部下で、平埜さんは「多岐川さんが進みすぎた時に汐見さんがブレーキをかけて調整をとるという関係性だと思う」、「印象的だったのは戦後すぐ引き上げて帰ってきた時に上野の駅で多岐川さんと子どもたちが対面したシーンで、多岐川さんが逃げずにいられるものをみつけたという震えてる背中が頭に残っている」など話した。

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