戦争で避難迫られた”疎開”を経験している日本。体験者を取材した。宮崎市は沖縄から太平洋戦争で避難をしてから終戦後も戻れない人が多かった。その一人の山内さんは6歳まで与那原町で過ごした。1945年7月旧日本海軍は不要な県民を県外に退出するよう要請し10万人が台湾などに避難。与那原町は戦争で焼土となり山内さんは避難先で生きるしかなかった。戦争と避難で人生がかわった山内さんは国民保護計画について、戦争がやりやすいんかねなどと語った。
© 2009-2025 WireAction, Inc. All Rights Reserved.