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「中央区(兵庫)」 のテレビ露出情報

上沼恵美子さんとNHK時代にテレビなどで共演経験のある青井キャスター。再会を果たした場所は神戸旧居留地。子どものころは歌手志望だったという上沼さんにとってお出かけの思い出の詰まったが神戸。30年前の今日、阪神・淡路大震災が発生。歴史のある洋館は最大震度7で全壊。それでも倒壊前の資材で震災前の姿を取り戻すことができた。復興したが上沼さんの脳裏にはあの光景が焼き付いているという。震災発生当時大阪府内に住んでいた上沼さん。当時、毎週大阪市内から車で神戸に向かっていたという。震災発生時は神戸に向かう日だったそう。上沼さんは「こんなに神戸が遠かったか」と感じたそう。
1955年兵庫・淡路島生まれの上沼さん。1971年に姉妹漫才でデビュー。笑みにさせる話術で人気に。1994年にはNHK紅白歌合戦にて初司会に。そんなさなかに震災が発生した。いまは笑いも交え、あの時の状況を振り返っている上沼さん。しかし、当時はとてもそんな気にはならなかったという。葛藤を抱えながら上沼さんは自分にできることを懸命に探していた。そのひとつはかつて漫才コンビを組んでいた姉と何度も行ったというチャリティーコンサート。そしてもうひとつが、被災地への寄付。震災復興半ばで笑いを届けるのは不謹慎。そんな上沼さんの心に変化が訪れたのは震災から2年が経過した頃だったという。その後、関西に根を張り人々に笑いを届け続けた上沼さん。震災からの日々を「こんな経験は嫌だが人間は現実というか目の当たりにしないと成長しない。行きてるだけもうけもんと思った」など振り返った。
続いて2人が訪れたのは北淡震災記念公園・野島断層保存館。こちらには震源に最も近い場所の断層がそのままの形で残されている。阪神・淡路大震災から30年が経過し、地元の人の中でも当時の惨状を直接知らない人が増えてきた一方、それ以降も能登半島を始めたびたび大きな地震に見舞われる日本列島。だからこそ被災者は伝えること、周りは手を差し伸べることが大切だと上沼さんは訴える。震災から30年、節目の年に上沼さんがチャレンジしたいことがあるという。上沼さんは「私にできるのはしゃべっていく。そして今年ひょっとしたら新曲出す」などコメント。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年4月5日放送 17:30 - 18:50 TBS
報道特集(特集)
今年は阪神淡路大震災から30年。MBS・清水麻椰アナウンサーの取材。阪神淡路大震災の起きた午前5時46分。大阪・大阪市にあるMBS毎日放送も激しい揺れに襲われた。宿直勤務の仮眠室で飛び起きカメラにすぐ手を伸ばした入社1年目・工藤輝樹カメラマン。少ない情報から工藤カメラマンは西へ向かう。兵庫・西宮市の阪神高速道路を取材。地震直後からカメラを回し続けたMBS人事[…続きを読む]

2025年3月16日放送 22:50 - 23:00 NHK総合
ニュース「千葉県知事選・千葉市長選 開票速報」(千葉県知事選・千葉市長選 開票速報)
千葉県知事選も千葉市長選もともに現職が当選確実となった。いずれも1期目の実績に一定の評価が得られたことがある。NHKが行った出口調査で熊谷氏の県政運営の評価を尋ねたところ、評価する人が9割にのぼった。また、今回の選挙戦で熊谷氏は県政に関心を持ってもらうことを目標に掲げ、精力的に街頭演説を繰り返した。特に人口の入れ替わりが激しい都内に地域に重点を置き、多い日に[…続きを読む]

2025年3月16日放送 17:25 - 17:30 テレビ朝日
未来につなぐエール(未来につなぐエール)
佳山奈央さんが目指すのは子育てする親やのびのび生きられる未来。神戸市中央区で4年前、親が子連れでくつろげる場所を作った。保育士や常駐して時間単位で子どもを預かるサービスも行っている。大学1年のときに未婚で出産し、シングルマザーとして子育てしながら大学を卒業し働いてきた。子どもを遊ばせながら、親が食事や仕事ができる空間を作った。内装も大人が過ごしやすいようにし[…続きを読む]

2025年3月13日放送 20:00 - 21:54 日本テレビ
秘密のケンミンSHOW 極!(関西の隠れラーメン帝国!?兵庫県民の真実)
兵庫県神戸市でラーメンについて県民に聞いた。二大醤油の1つであるもっこすへやってきた。もっこすは県内に14店舗、うち10店舗が神戸市内で展開している。続いて神戸ラーメン第一旭へ。もっこすに見た目が似ている。ネギとチャーシュー爆盛のスタイルが神戸スタイルである。第一旭の創業者・田口さんが、爆盛中華そばの原点は第一旭が最初などの話をした。今では神戸周辺30軒以上[…続きを読む]

2025年3月12日放送 14:05 - 14:50 NHK総合
列島ニュース(ニュース)
日本で避難生活を送るウクライナの人たちについて伝える。現在日本国内では2000人近くのウクライナ人が避難生活を送っていて、支援の継続が課題となっている。日本財団による生活費支給は、日本に受け入れ先がある人を対象に、期間は3年間で1人あたり年間100万円が支給されていた。長い人の避難生活は3年ほどとなっているため、今月以降順次終了していき、経済的自立が求められ[…続きを読む]

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