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「中尊寺金色堂」 のテレビ露出情報

約400年前、金78トン・銀2330トンという世界の約10%の金を算出し、世界中を席巻した佐渡金山。江戸時代、最も多くの金銀を生み出した相川金銀山。道遊の割戸は標高252mの相川金銀山を山頂から掘り進め、幅約30m・長さ約120m・深さ約74mの鉱山遺跡。金鉱石の採掘は山頂からだけでなく、横からでも下からでも金脈が見つかれば、至る所から掘っていった。この山の周辺だけでも100か所以上のトンネルの出入り口が見つかっており、その長さを合わせると約400kmになるという。江戸時代のトンネル・大切山坑に潜入。かなづちとたがねを使い、人間の力だけで掘り進められた。しかし、佐渡金山の岩盤は硬く、作業は1日10cm程度。奥に進むと2つの道に分かれている。問題「トンネルが2つある理由は?」。正解は「空気を循環させるため」。
宗太夫坑は江戸時代初期に実際に掘られたもので、現在は史跡として公開されている。江戸幕府により、各地から多くの人が集められ、最盛期には1900人以上の人が働いていた。トンネルを掘っていた人たちは金穿大工と呼ばれ、8時間交代制で作業をしていた。問題「腰に巻かれた縄の役割は?」。正解は「非常食」。稲の藁で作られた縄を緊急時にかじって食べるという。
働く人々の支えとなった風習が歌。金穿大工が山の神様に歌を奉納する神事「やわらぎ」が行われていた。かなづちとたがねで音を奏でた。親方が身に纏うのは金を運んだ藁の袋。そこには2匹のオオムカデが描かれている。幸運をもたらす生き物と信じられていた。金脈がムカデに似ていることから鉱山関係者はムカデを大切に扱っていた。現在でも毎年7月に鉱山祭を開催。問題「“やわらぎ”に込められた願いは?」。正解は「鉱石が軟らかくなるように」。
相川地区では400年前から金山の発展とともに作業員たちが暮らし、生き抜いてきた。中心となった町が「京町」。京都の呉服店などが多く店を構えていたことから京町と名付けられた。作業員の衣食住を支える必要があったため、日本各地から様々な職種の人が集められ、職種ごとに町が形成されたという。町を取り仕切っていたのが佐渡奉行所。奉行所の管轄のもとで行われたのが金の選鉱と製錬。勝場という工場では金鉱石から小判の生産までを一貫して行っていた。1トンの鉱石から取れる金は5g程度だったという。佐渡島産の金の純度は99.54%。当時の佐渡小判17.85gは現在、約500万円の価値がある。問題「金の輝きを出す“あるもの”は?」。正解は「塩」。仕上げに塩で小判の表面を研磨して輝かせた。
東洋一の選鉱場「北沢浮遊選鉱場跡」は佐渡島のラピュタとしても知られる。ここで行われていたのが泡を使った金の採取方法。泡に金を付着させて抽出していた。これまで採取することができなかった微小な金も取ることができ、昭和15年には過去最大の約1.5トンの金を産出した。問題「鉱石が見つかった意外な場所は?」。正解は「海岸」。高品質の金鉱石が多く、海岸に100万トンが眠ると言われていた。
住所: 岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
URL: http://www.chusonji.or.jp/

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年7月1日放送 19:00 - 21:00 フジテレビ
今夜はナゾトレ(オープニング)
今回は2大“黄金の世界遺産”に潜入SP。中尊寺金色堂にナゾトレのカメラが初潜入。さらに佐渡金山を徹底取材。

2025年1月4日放送 13:30 - 15:00 テレビ朝日
帰れマンデー見っけ隊!!世界遺産・日光で洋食名店を探す旅
開運黄金龍の矢を探す一行。運黄金龍の矢がある大猷院の拝殿へと向かうと、中には龍が大量に描かれていた。これは昇り龍と降り龍。金閣寺、中尊寺金色堂と並び、金がたくさん 使われている建物で、その中でも入れるのはこの大猷院のみとなっている。運黄金龍の矢こと「龍神破魔矢」は、普段は矢を上に向けて、願いを天に向けて届ける昇り龍として置く。厄年は寝かせ、矢の先を玄関に向け[…続きを読む]

2024年12月3日放送 23:50 - 0:35 NHK総合
歴史探偵(歴史探偵)
源氏と蝦夷が戦った前九年合戦で、藤原清衡の父親は囚われの身となり、源氏は苦痛を長引かせるために切れ味の鈍い刀で斬首した。約20年後、蝦夷同士の争いが勃発。朝廷に働きかけ、介入を試みたのが源義家。藤原清衡は父の仇敵ともいえる源氏に従い、籠城戦には兵糧攻めで対処した。女性や子どもたちが降伏を申し出るも、源氏は鏖殺した。主だった敵将は首を刎ねられ、晒された。藤原清[…続きを読む]

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