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「中日映画社」 のテレビ露出情報

55年前の昭和45年に開催された「大阪万博」。特に注目を集めたのは当時の最先端技術。現在の携帯電話の原型とも言えるワイヤレス電話もこの万博で披露された。そして実は大阪万博は食の祭典でもあった。現在朝食などで広く食べられているブルガリア生まれのヨーグルトや、世界さん大珍味の1つ・キャビア、メキシコの主食であるトルティーヤ、鍋で煮た熱々のチーズを絡めて食べるスイスの家庭料理・チーズフォンデュなど、大阪万博がきっかけで日本に紹介された。そして300軒近いレストランがある中、売り上げ1位だったのが後のロイヤルホストとなる「ロイヤル」。ロイヤルの創業者・江頭匡一さんの長女・眞理さんは当時万博会場にいたという。「ロイヤル」はアメリカ大使館の要請でアメリカエリアのレストラン・ステーキハウス・ケンタッキーフライドチキンなどを運営した。いまもロイヤルホストの売りの1つ「厚切りステーキ」。実は万博のときの人気メニューだった。今は約7,000~8,750円ほどだが、当時は2,000円~2,500円で出していたという。なぜロイヤルが任されたのか。実はもともと出店予定だったアメリカのレストランチェーンが「人件費・食材費などを考えると採算が合わない」と撤退したため。そんな中、ロイヤルは日本に殆どなかった方法で勝負に出た。それは複数の店で出す料理を1か所でまとめて調理する「セントラルキッチン方式」。今では当たり前のことだが、当時はそれぞれの店舗で調理・下ごしらえをしていた。出来上がったものを各店舗に配送すればコストも下げられ、人手も減らせる。ロイヤルは福岡のキッチンで調理されたソース・スープなどを約600キロ離れた大阪の会場まで毎日4台のトラックで輸送。1日スター木2,000枚、ハンバーグ2,000個出る厨房を支えたという。現在のロイヤルのセントラルキッチンは千葉県船橋市にあるが、1日約20トン・10万食を作り上げる。手間がかかるソースなどは大量に調理することで品質を下げずコストを抑えている。かつて高嶺の花だった外食が身近になった背景には昭和の時代に果敢に挑戦した人がいた。日本に外食が広がったきっかけは大阪万博ともう1つは車社会の到来。昭和35年には「家つき カーつき ババア抜きが結婚相手の最適条件」という言葉も。生活に欠かせないものとなった車が外食のカタチを変えることとなった。車に乗って家族で郊外のレストランにご飯を食べに行く=ファミリーレストラン。「車でファミレスへ」こうして外食は気軽な食事となった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年5月9日放送 22:20 - 22:50 テレビ東京
新美の巨人たち新美の巨人たち
1966年に帰国。万博で野外彫刻を制作する7人に選ばれ作品を出品した。アトリエでは今まで手掛けた作品の試作が並ぶ。制作前に作品が設置される場所を必ず訪れるという。

2026年4月25日放送 18:56 - 20:54 テレビ朝日
池上彰のニュースそうだったのか!!池上彰ニュース解説2時間 世の中こんなになるとは…
マッチングアプリがない時代の出会いは職場結婚が60年代後半~80年代に急増。若者が読む雑誌には文通相手や恋人募集のコーナーがあった。マッチングアプリの利用者はこの10年ほどで急増。本人確認などの安全対策を進めているアプリも多い。4人に1人がマッチングアプリで結婚している。

2026年4月18日放送 18:56 - 21:00 テレビ朝日
サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん昭和レトロ遺産大捜索SP
1970年大阪万博の休憩所として使われていた建物を捜索。大阪市の都心部に移築されたが詳しい情報が出回っていないという。やって来たのは593年創建四天王寺の庚申堂。休憩所はお寺のお堂になっていた。大阪大空襲で焼失した四天王寺を復興させるため、後々庚申堂として再利用する計画で大阪万博に建てられたという。

2026年4月16日放送 19:00 - 21:00 テレビ朝日
林修の今知りたいでしょ!(こんなに変わった!昭和の常識 令和の新常識)
昭和の時代には映画「フラッシュダンス」の影響でエアロビクスが流行った。全身を鍛えられるブルーワーカーも話題になった。昭和の常識は「足腰を鍛えるにはうさぎ跳びが良い」。筑波大学の久野先生は、膝に負担がかかり効果に比べてデメリットが大きいと話した。「足腰を鍛えるには(?)が良い」と令和の新常識が出題された。正解はゆっくりスクワット。久野先生は負荷がかかる時間が長[…続きを読む]

2026年3月27日放送 20:00 - 21:48 テレビ朝日
タモリステーション昭和元年から100年 ヒット商品100年史
昭和16年にキユーピーマヨネーズが市場を席巻。当時の広告にはより健康になってほしいという願いを込めて「体位向上」という言葉が使われていた。一方、昭和17・18・19年は太平洋戦争が深刻化しヒット商品は生まれなかった。昭和20年のヒット商品は日米会話手帳。360万部以上発行され戦後初のベストセラーとなった。また同じ年宝くじが日本で初めて販売された。1等は10万[…続きを読む]

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